「普天間基地跡に県庁を」米軍統治下の沖縄に存在した琉球政府が日本復帰前に描いた鉄道の夢【復帰52年特集】
■「琉球政府の人たちの思いが詰まっている」 「マル秘」の赤い印鑑が押された資料。記者に示した持ち主は、感慨深げに語った。 【写真を見る】「普天間基地跡に県庁を」米軍統治下の沖縄に存在した琉球政府が日本復帰前に描いた鉄道の夢【復帰52年特集】 ▽翁長巳酉さん 「なぜこれを作ったかというのは、憶測ですけれども、琉球政府から沖縄県になるのを前に、“こうなってほしい”と。当時の琉球政府の人たちの、思いが詰まってる感じですね」 琉球政府企画局、1971年6月と記された資料の表紙には「軍用地および軍用施設」と記され、「現況調査報告」「転用の基本的考え方」「現況図・転用計画図」の3つの内容に分かれていた。 1945年の敗戦以降27年間、米軍の統治下に置かれていた沖縄は、1972年5月15日に施政権を日本に返還され、日本に「復帰」した。琉球政府とは、1972年5月15日の復帰まで沖縄に存在し、その役割を沖縄県庁に引き継いだ行政組織だ。 復帰の前年、彼らが詳細に「軍用地および軍用施設」の現況を調べ、転用計画をまとめたのはなぜだったのか。ページをめくると、壮大な夢が詰め込まれていた。 ■「普天間基地に県庁」 琉球政府が作成した53年前の資料を保管しているのは、那覇市の翁長巳酉さん。翁長さんの父、林正さん(故人)は、琉球政府最後の公選行政主席、屋良朝苗のもとで農林局長を務めた政府幹部だった。林正さんが残していた資料を数年前に整理したところ、この資料が出てきたという。翁長さんはB1サイズの大きな地図30枚に及ぶ「現況図」と「転用計画図」を1つひとつ開いて説明してくれた。 ▽翁長巳酉さん 「ここに電車が走る計画なんですよ。これが普天間基地・・・」 「普天間基地の跡にビジネスセンター、県庁なんて書いている。面白いことを考えてたなと思います。当時の人たちは」 日本復帰前に描かれた夢。それは、戦後米軍に奪われ軍事基地となった土地の大規模な返還と、それを存分に活用した県土全体の再構築だった。「転用計画図」には、普天間基地の跡地に県庁を移しビジネスセンターを形成するといった案が記された。普天間基地について、資料「転用の基本的考え方」にはこのようにあった。