なれ合いの政治、緊張感のない国会…議長席から見えた景色を尾辻秀久参院議員が率直に語った。「ずっと悩んでいた」辞任の理由、残る議員生活に残した仕事
尾辻秀久参院議員(84)=鹿児島選挙区=が任期途中で参院議長を辞任した。腰部を圧迫骨折した昨夏以降、痛みと闘いながら国会の議事進行や皇室関係行事出席を続けてきた。辞任を決めた理由や今後の議員活動の抱負を聞いた。 【写真】〈関連〉「議長席ではずっと緊張していた」と話す尾辻秀久氏=参院議員会館
-任期を約8カ月残しての辞任となった。 「国会の開会式で天皇陛下が議場を退出される際、参院議長は先導役を担う。腰の痛みでなかなか思うようにできず、いつもごまかしながらだった。国会は形を整えないといけない場所。私はさまになっていないとずっと悩んでいた。10月に辞任を決意した。これまで気持ちが張り詰めていたのか、家族によく笑うようになったと言われる。任期満了できれいに辞められたら良かったが、悔いはない」 -議長として全国戦没者追悼式や、ハンセン病元患者らの追悼式典で、情感あふれるあいさつをした。 「8月15日は父を戦争で亡くした私にとって特別な日。『追悼の辞』は日ごろ思っていることを率直に心を込めて読んだつもりだ」 「ハンセン病元患者らは治療法が確立した後も隔離され、断種や堕胎を強制された。国はなぜ非人道的なことを行ったのか。その怒りや反省は自分自身にもある。立法府の人間として、私自身が責任を取っていないという思いが非常に強く、言い訳ができない。首相も式典に出席し、謝るべきだ。10月8日の参院本会議で旧優生保護法下の強制不妊手術を巡る補償法が成立したが、良かったなんて表現はできない。遅すぎた」
-議長席から国会を見てきて感じたことは。 「議長を務めた2年余りに限らず、緊張感のない国会を続けてきたように思う。与党が安定多数を維持し『どうせ結果は見えている』という、なれ合いの政治。今回の衆院選で与野党が伯仲した。議論が深まり、『ひょっとしたらひっくり返るかも』という緊張感が出てきたのは、私はいいことなんじゃないかなと思う」 -議員任期の来年夏までどんな仕事をしていくか。 「まずは体力を取り戻したい。いくつかけりをつけたい仕事もある。自殺対策は進んできたが、特に子どもの自殺が増えているのが非常に気がかりだ。一議員として取り組んでいきたい」 ◇ 鹿児島県南さつま市出身の尾辻氏は鹿児島県議を経て89年の参院選で初当選し6期目。厚生労働相や参院副議長、日本遺族会長など歴任し、ドミニカ移民問題の解決などに尽力した。議長就任に伴い自民会派を離脱した。 今年7月、来夏の参院選には立候補せず、今期限りで政界を引退する意向を明らかにした。議長職は任期満了まで続ける意欲を示していた。
南日本新聞 | 鹿児島
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