人はなぜ、おいしいものや綺麗な景色を写真に撮りたくなるのか「写真はいつか宝物になります。自分の宝物にも誰かの宝物にも」と写真家が語る真意
うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真 #2
おいしいものを食べたとき、綺麗な景色をみたとき、我々はカメラを向けてそれを写したくなる。ダンスを知らない子どもがうれしいときに踊りだすように、人は何かに感動したとき、それを伝えようとするのだ。写真家幡野広志の新著『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』を読めば、もっと写真が撮りたくなるはずだ。「写真はいつか宝物になる」という言葉の真意が迫ってくる。 【写真】幡野さんが「だから写真を撮る」と感じた1枚
どうして写真を撮るのか
どうして人は写真を撮るんですかね。食事や睡眠のように写真を撮らないと死ぬわけじゃないのに、どうして写真を撮るんでしょう。いい写真は伝わる写真だとぼくは書きましたけど、これは哲学みたいなものなのでいろんな答えがあると思います。 ぼくは写真だけじゃなくて映画や漫画など作品と呼ばれるものすべて、伝わる作品がいい作品だと思っています。だからいい作品って考えさせられるし、人生に変化を与えるような作品があるんですよね。 そもそも作品というのは誰かに何かを伝えたくて制作するものだと思います。アボリジニの壁画だって何かを伝えたくて描いたわけです。芸術というのは何かを伝えるためにするもので、写真や壁画や漫画や映画などは伝える手段です。あくまでも伝えることが目的。 手段の中に伝わりにくいものもあれば、伝わりやすいものもあるんですよね。簡単なものもあればむずかしいものもあるし。それから自分がやりたいことだってあるし。「誰かに何かを伝えたい」これが写真を撮る理由だとぼくは思います。 何かを伝えたいのは食事や睡眠と一緒で人間の欲求のひとつだとぼくは思います。自分に何か大きな出来事があったらそれを誰かに伝えたいんです。伝えるというのはコミュニケーションだからです。 言葉がない時代は壁に絵を描きました。大昔の人は石に文字をほりました。それくらいのことをしてでも誰かに何かを伝えたいんです。手紙になったりメッセージアプリになったり時代とともに形は変わりましたけど、伝えたい欲求は変わりません。 何かを伝えたいから人は写真を撮ります。それが写真を撮る理由です。目の前で大きな出来事があったら写真や映像を撮るものです。空に虹がかかれば写真を撮るし、打ち上げ花火を見たら写真を撮るし、場合によっては命の危険があろうと撮ります。だから災害時や緊急時でも人は撮るんだと思います。 伝えたいから撮るのだから、伝えることがないなら撮る理由はないです。伝えることがない写真は見ててつまらないです。漫画だって映画だって何も伝わらない作品は退屈です。 だから写真を撮るときは感動してください。感動っていうとすごく安っぽく聞こえるけど、感動してないならシャッターを押す意味がありません。感動というのは涙を流すような大きなことだけじゃありません。 美味しいだって感動です。綺麗だって感動です。驚くことも感動です。暑いや寒いだって感動です。ありがとうだってうれしいだって感動です。心が動くことが感動です。