2024年パリ五輪を騒がせた”誤審問題”…「見えなかった」の判定OKな競技もある中、ビデオ判定以外に解決策はあるのか
いよいよ終盤に差し掛かった2024パリ五輪では総じて「誤審」が疑われる判定が目についた印象がある。日本代表でいえば、柔道60キロ級永山竜樹の「待て」無視、同じく柔道90キロ級村尾三四郎のポイントスルー、男子バスケットボール対フランス戦 “残り16秒”の疑惑の判定などが印象的だった。勝負を決する瞬間の微妙なジャッジに対し、SNS上を中心に否定的なコメントがあふれる。 【画像】競技規則にも「見えませんでした」と記載されている 「どのスポーツも審判絶対の間が下はやめた方がいい。ビデオ判定とか、AIとかの導入をもっと進めるべき」「審判は責任をもって技量をもっと磨いてほしい。ペナルティも必要」「今大会は誤審が多い気がする。次大会から数台のカメラを導入すべきでは?」「審判の技量に差があり過ぎる」など、ジャッジのあり方に強く踏み込む意見が目立つ。
ビデオ判定の”功罪”
ネット上での指摘にもあるように、いまや、ビデオ判定は多くの競技で導入されている。その目的は、審判員の肉眼での判定が困難な時や、判定に意義があるときに、”第三の目”として映像を確認して判定を行うことだ。 五輪競技でいえば、とくに誤審が目立った柔道でも導入されている。その発端はほかならぬ、五輪での「誤審」疑惑(2000年シドニー五輪柔道男子100キロ超級決勝)だ。それでも誤審は頻発しているが、ビデオ判定はいまではバスケット、バレーボール、テニス、サッカーなど多くのメジャースポーツでも採用されている。 ”機械の目”で誤審を減らす一方で、ビデオ判定については競技の面白さを半減しかねないとの指摘もある。たとえばサッカーで導入されているビデオアシスタントレフェリー(VAR)は、導入により狙い通り見落としが大幅に減ったものの、結果的に、”正確過ぎるジャッジ”によって、サッカーのだいご味である、「いい意味のあいまいさが消されてしまった」と嘆く往年の名選手もいる。 スポーツは原則、審判がいなければ成立しない。そこで、審判の目をうまくごまかし、ゲームを優位に進めることも良しとする考え方もある。サッカーではポルトガル語でずるがしこいを意味する「マリーシア」という言葉があり、勝つために必要なズルとして、”公認”されているほどだ。 「マリーシア」が成立しうる背景には、スポーツにおいて競技中の審判の判定は最大限尊重されるという大原則がある。審判が絶対である以上、一旦その目をごまかしてしまえば、有利な判定を手にできるからだ。