『どうする家康』とは全然違う!『光る君へ』を10倍楽しく見るために~音楽演出の深淵
現在放映中の63作目となるNHK 大河ドラマ『光る君へ』は、世界最古の長編文学と呼ばれている『源氏物語』を生み出した紫式部の生涯を描いています。これまでの大河ドラマではあまり描かれてこなかった平安時代中期を舞台にした、雅(みやび)な衣装をまとった男女による朝廷内の権謀術数、主人公のラブストーリーが見どころとなっています。 【画像】こ、これぞ大河!なのに……『どうする家康』にあって『光る君へ』になかったモノ ビジュアル面とともに、通(ツウ)が注目するのが“音楽演出”です。気に留めない視聴者が多いのですが、大河ドラマ好きなら、音楽の演出を知らないのはもったいない。時代考証、豪華なセット、こだわりぬいた小道具・大道具と同様、音楽もまた作品世界を構築するための重要な要素だからです。歴史にも音楽にも造詣の深い歴史研究家の井手窪剛さんに『光る君へ』を10倍楽しむための貴重なお話を伺いました。 ◆『どうする家康』にあって『光る君へ』にない“音” ――大河ドラマの音楽の魅力とは何でしょうか? 「まず、純粋に高品質です。なにしろ、現代音楽の最前線で活躍している作曲家陣がメインテーマや劇中の音楽を手がけています。昨年亡くなられた坂本龍一さん、三枝成彰さん、山本直純さん、武満徹さん、間宮芳生さん、吉松隆さん、毛利蔵人さん、池辺晋一郎さん……など、お名前を挙げればキリがありません。『アンタッチャブル』や『ニュー・シネマ・パラダイス』などの映画音楽を生み出したエンニオ・モリコーネさんもそう。世界的プロがその作品に合った音楽を生み出しているのですから、魅力的にならないはずがない。そのうえ、音楽的に新しい試みもなされます」(以下、カギカッコはすべて井手窪氏の発言) ――どんな試みでしょうか? 「有名なのは『独眼竜政宗』(’87年)のオープニングです。曲の冒頭に聞き慣れない電子音のような音が鳴って話題になりました。これは当時の日本では珍しかった楽器オンド・マルトノを使っていたんです。鍵盤と弦を利用して電気的な音を奏でる楽器です。20世紀前半の特異な技術と、正統的なクラシック音楽のオーケストラによる生演奏を組み合わせた贅沢なオープニングでした」 ――現在放映中の『光る君へ』はいかがでしょうか? 「第1話の冒頭から音楽演出が光っていましたね。平安京の夜のシーンで、陰陽師である安倍晴明が登場します。彼が『雨だ。大雨だ』と口にします。大雨とは、これから物語の中で始まるさまざまな出来事を象徴的に示しています。この場面に流れていたBGMは、19世紀のロシアの作曲家リムスキー・コルサコフさんが書いた交響組曲『シェヘラザード』をモチーフにしています。シェへラザードとは『千夜一夜物語』の登場人物。美女と一夜を共にしては殺していた古代ペルシャの暴君に毎夜、物語を聴かせることで生き延びていくヒロインです。つまり、『シェへラザード』は中東における“後宮”を舞台にした物語をテーマにした音楽なのです。 『光る君へ』も平安時代の後宮を舞台にした、紫式部と彼女を取り巻く人々の物語。シェへラザードが『千夜一夜物語』の語り部であるように、紫式部は『源氏物語』の作者です。これら東西でテーマが符合した曲を第1回の冒頭で流すことによって、これから始まるのは後宮のドラマ、王朝の物語なのだと高らかに宣言しているのです。そういう知識がなくても単純に音楽として楽しめますが、モチーフや背景まで踏み込んでみると、より深く楽しめます。大河ドラマではそれぞれのシーンにいろんな意味を込めて音楽を使っているのです」 ――音楽の中に文学的なメッセージが込められているのですね。 「大河ドラマの音の演出は音楽だけに限りません。自然や生き物が発する音も効果的に使われています。音が溢れている現代とは違って、平安時代には音そのものが少ない。だから、いろんな種類の鳥の囀(さえず)りが聞こえてきます。昼と夜では鳴く鳥の種類も違う。『光る君へ』の場合、夜の鳥でいうと、まずフクロウの仲間のアオバズク、それに鷺系のゴイサギやアオサギによる『ギャッ』というちょっと不気味な鳴き声が印象的です。藤原道長の父・兼家が怨霊を恐れる場面では、かつて『鵺(ぬえ)』と呼ばれたトラツグミの鳴き声が不気味さを盛り上げました。これらは現代ドラマではほとんど聞かれない音です。中世のドラマならではの“音”ですね。逆に昨年までの作品ではよく聞こえていたのに、『光る君へ』の劇中ではパッタリと聞こえなくなった音もあります」 ――『どうする家康』(’23年放映)では聞こえた音が、今回は聞こえないのですか? 「それは木と木が擦れる“木擦れ”の音です。カツカツカツというようなイメージの音です。森や林が近くにある田舎であれば、現代でも日常的に耳にする音です。音が少ないいにしえの時代なら、より鮮明に聞こえたでしょう。だから、三河(現・愛知県東部)を舞台にした『どうする家康』や、鎌倉を舞台にした『鎌倉殿の13人』、美濃(現・岐阜県)を舞台にした『麒麟がくる』では、木擦れの音が頻繁に使われていました。ところが、『光る君へ』は当時の“大都会”である京都が舞台なので、木擦れの音は聞こえてこないのです」 ――音楽に話を戻します。使われる曲はクラシック音楽が中心になりますか。一千年以上も前の世界を表現するので、あまり現代的な音楽を用いると違和感がありそうですが……。 「いいえ。『光る君へ』ではジャズやミュージカルなど、多種多様なジャンルの音楽をモチーフとして使っています。でも、世界観としてミスマッチにならないようにしっかりと工夫がされているのです。古楽器で演奏したり、西洋音楽の要素だけをパーツとして使って和風の音楽に仕立てたりしています。 違和感のない理由のわかりやすい例を挙げます。劇中では、主人公のまひろ(紫式部)が琵琶を奏でるシーンが何度も出てきます。一方でBGMの中で使われた弦楽器のひとつにリュートがあります。実は琵琶もリュートもペルシャ辺りで生まれた弦楽器を祖としているんです。つまり、琵琶とリュートは起源が同じ楽器なので、劇中で奏でられる音は違和感がなくドラマに馴染めているのです」 ――そうした細かい工夫の積み重ねで、千年前の平安の世界を音楽で彩っているといえますね。まひろの琵琶といえば、第8回の『招かれざる者』の演奏シーンが忘れられません。母親を殺した藤原道兼が、まひろの家を訪問する。母の仇である道兼の前で琵琶の演奏を披露する彼女の心中を察してつらかったです。 「あの場面は鬼気迫るものを感じました。しかも“音楽+音”による演出も秀逸です。まひろが手にしていたのは、道兼に殺されたお母さんが愛用していた琵琶です。その道兼の前で琵琶を弾きはじめると、まひろの背後に見える庭で風がさわさわとそよぎ出しました。 これは個人的な解釈が入りますが、風がまひろのお母さんの魂を連れてきた演出ともとれます。日本では古代から伝統的に風は、見えないものを連れてくるという考え方があります。良きものや、反対に病などの禍々しいものを連れてきたり、あるいは亡き人の魂、つまり霊魂も運んでくるのです。亡き母を思い、愛用の琵琶を奏でることによって、お母さんの霊魂が風に乗ってまひろの側に寄ってくる。見ようによっては、お母さんの魂がまひろに寄り添い、半分乗り移っている雰囲気を醸し出した表現に感じました」 ――制作側にはいろんな意図があるのですね。それを音楽や音で演出している。 「もともと、琵琶という楽器は幽玄の世界に入っていくためのツールとして使われてきました。『光る君へ』より後の時代ですが、鎌倉時代では琵琶法師が『平家物語』を滅んだ平家の鎮魂の意味も込めて語り継いでいました。琵琶は亡くなった人と現世を結ぶ象徴的な楽器なんです」 ――まひろも母親の鎮魂のために弾いていると考えられますね。では、最後に大河ドラマの音楽の楽しみ方についてメッセージをください。 「くり返しになりますが、音楽の知識がなくても大河ドラマは十分楽しめます。私自身もずっとドラマとして楽しんでいたので、最初から劇中で鳴っている音や音楽に注意していたわけではありません。でも、流れている音楽や鳴っている音が気になりだして、調べ始めたら、演出の意図や背景などさまざまなことがわかるようになりました。音楽や音を気にしながら見ていくと、より深く大河ドラマを楽しめるのは間違いありません」 大河ドラマのワンシーンごとに、いろんな意味を込めて音楽が使われていると、あらためて知りました。折り返しを迎えた『光る君へ』を音楽の面からも堪能しましょう! 取材・文:佐野裕 さの・ゆたか フリーライター。ビジネス、人文などを主な守備範囲とし、雑誌・ネット等、メディアを問わず、記事の取材・執筆を中心に活躍。著書多数。
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