12度防衛の名王者、山中慎介が引退会見「神の左という言葉に恥じなかった」
元WBC世界バンタム級王者の山中慎介(35、帝拳)が26日、都内のホテルで引退会見を行った。山中は3月1日に、体重超過でタイトル剥奪となったルイス・ネリ(23、メキシコ)とのリベンジ戦を戦ったが、2回にTKO負けを喫した。試合後に引退を表明していたが、正式に、この日、引退会見に臨んだ。山中のプロ戦績は31戦27勝(19KO)2敗2分。会見では、最後に「まだ正式な引退報告をしていない」という長男の豪祐くん(5)と長女の梨理乃ちゃん(3)から「卒業おめでとう」の言葉をもらった。 以下は、引退会見の主な一問一答。 ーー今の心境は? 「ネリの試合が最後になった。試合の2日後に目が覚めて、もう走らなくていいんだなと思うと寂しかった。でも、悔いはない。ここまでよくやってこれたと自分自身に言ってあげたい」 ーーこういう形での引退を思い描いたか? 「本当は最後は勝って引退が理想。ああいう試合結果になったけれどスッキリした気持ち。勝敗に関係なく自分に勝った。だからスッキリした気持ちでいれる」 ーー辰吉丈一郎、長谷川穂積と歴代の名王者が守ってきたWBC世界バンタム級王座を守ってきた。 「歴代偉大な先輩が持っていたベルトでバンタムは日本で馴染みのある階級。あしたのジョーもそうでした(笑)。12度防衛して価値を高められた」 ーー2006年1月にデビュー。12年のボクシング生活で印象に残る試合は? 「プロで何試合したか、今は忘れているくらいだけど、アンセルモ・モレノ(元WBA世界バンタムスーパー王者、パナマ)との再戦(2016年9月16日)。際どい判定勝利の後の再戦で、どう自分を変えるかに悩み調整が難しかった。(7回TKO勝利という)結果を出せて満足している。長谷川さんが僕の前の試合で(3階級制覇を果たして王者返り咲き)心に残っている」 ーー“神の左”と呼ばれてどうだったか? 「同級生が(そのニックネームを)つけてくれてTシャツを作り、大げさとかやりすぎとか思われたのかもしれないが、そこから左のパンチで結果を出せた。違和感なく、その言葉に恥じない試合をしてこれた。ワンツー主体で、歴代世界王者の中でトップクラスの引き出しの少なさだった(笑)。でも高校時代から磨き、ワンツーを信用してから結果を残せた」 ーー“神の左”の印象的な試合は? 「(2011年11月3日に行われた)V2のトーマス・ロハス(メキシコ)戦での最後の一発。あれがあるから、それからも、あれくらいのKOをしてやろうと、やってこれた。記憶に残る試合」 ーー今、その左拳に語りかけるとすれば? 「強かったよ、と言いたい。大きな怪我がなかった。それが結果を出せた理由だったと思う」 ーーボクシング人生を振り返って。 「武元先生(南京都高校ボクシング部監督)、モンゴル人コーチのガンバットさん(高校時代に武元監督が招聘)の影響を受け、帝拳では本田会長、長野マネージャー、浜田代表、ジムの皆さんに、さらに成長させていただき、日本ランカーになってからは、後援会を作っていただき、サポートをしていただいた。皆さんの力を借りて大きく成長できた。そこに僕の少しの才能と努力も(笑)。(プロ入り序盤で伸び悩んだのは)いいものを持っていると自分でも思っていたが、大学で練習をサボっていた。そのツケがプロの序盤に出た。プロで努力したことで徐々に結果を出てきた。大きな(飛躍の)きっかけになったのは岩佐(現IBF世界Sバンタム級王者)との試合(2011年3月5日の日本バンタム級王座の初防衛戦で10回TKO勝利)。不利の予想のなか、僕自身は勝つ気満々だったが、あれを乗り越えて勝てたことで今の自分がある」 ーープロとして大事にしてきたことは? 「継続は力なりーーということを大事にしてやってきた。今後、若い人に伝えていきたい」 ーー第二の人生プランは? 「第二の人生で何をするか、まだハッキリと具体的なものは決めていないが、今までの経験を生かして何事もチャレンジしていかないといけない」 ーーあなたにとってボクシングとは? 「これまでの人生でボクシングで一番成長させてもらった。僕の人生そのもの。山中慎介イコールボクシングです」