ロケ地に移り住んで撮影 熊切和嘉監督が描こうとした剣戟の正体とは?
死と向き合ったとき、心がどう乱れるのか、その経験がないので想像もできない。ただ吉村昭さんの小説『桜田門外ノ変』にこのような描写があり、動揺したことがある。出仕途中の井伊直弼が襲われた桜田門外ノ変では、現場に耳や鼻などが散乱していたというのだ。 「剣術の稽古で最も重視される間合いなどすっかり忘れ、ただ刀を上下左右にふるうだけで、揉み合っている者もいる」 修業を積んだ武士でも動転し、そのうちに刀が触れ合って、耳や鼻を削ぎ落してしまう。死を感じた武士が無我夢中で刀を振り回す息遣いが聞こえるような気がした。 長い前置きとなったが、熊切和嘉監督、綾野剛主演、村上虹郎共演の『武曲 MUKOKU』を観たとき、この感覚を思い出し、演出した熊切監督に、なぜこの映画を今のこの時代に送り出そうとしたのか訊ねてみたくなった。 現代の鎌倉を舞台に、生きる気力を失った剣の達人・研吾と、天性の剣の才能を持つ高校生・融の宿命の対決を描く、藤沢周の同名小説の映画化。企画は、熊切監督の『ノン子 36歳 (家事手伝い)』『海炭市叙景』のプロデューサーでもある星野秀樹から、パリ留学から帰国直後に持ちかけられた。この企画に惹かれたのは、「身体表現で描く映画をやりたかった」からだという。「映画というか、活動写真の原点。それをやりたかった」と。そして熊切監督がすぐ映画の舞台となる鎌倉近く、逗子に移り住んだ。
映画を作る上でロケーションは重要だ
――毎回、ロケ地の近くに引っ越されるわけではありませんよね? なぜ今回、移り住もうと思われたんですか? 熊切:撮影に入る一年前くらいにプロデューサーと脚本家と、シナハン(シナリオハンティング)で行き、撮影が近づいてから一人でも歩いて周って、とにかく土地が気に入ったっていうのがあります。あとは、剣道をやっていないのに剣道映画を撮る恐怖感があったので、せめてロケ地くらいは自分のものにしたいというのがありました。住んでいる場所なら思い入れを持って撮れますから。 ――監督として、演出することを仕事と考えたときに、どのくらいが理想の仕事場との距離感ですか? 熊切:撮影現場には、撮影が始まったらずっといたいですね。それ以外の時は、ある程度距離があって、ちょっと冷静になれたほうがいいんですが。 ――俳優の身体が物語るものに加え、ロケーションが醸す物語も、熊切監督の映画の魅力だと思います。 熊切:その土地の力を味方につけなければと、『海炭市叙景』を撮った頃から強く意識し始めました。原作者の藤沢周先生がこちらに住まわれているのもあって、鎌倉のあの切通しの感じといい、イメージを喚起するものがありました。別なところで藤沢先生が「かまくら」の語源は屍(かばね)の蔵だと書いていたのも面白かった。『武曲 MUKOKU』はちょっと死の臭いのある映画なので、冥界とつながっている印象が相応しいんじゃないかと思います。