GENDA申真衣 ゴールドマン辞め起業 後悔ない決断術を学んだ本
申真衣さんは、ゴールドマン・サックス証券に新卒で入社。2017年にはマネージングディレクターに就任した。11年勤めた同社を退職してGENDA(ジェンダ)を共同創業し、社長として辣腕を振るっている。同社はアミューズメント施設「GiGO」などやカラオケチェーン店「カラオケBanBan」を運営、映画配給会社・ギャガなどをグループに持つエンターテインメント企業だ。23年7月には東証グロースに上場。時価総額は1000億円を超え、急成長を遂げている。その傍ら、女性誌のファッションモデル、2児の母としても忙しく過ごしてきた。20代の頃は、最短距離でのゴールを目指してモーレツに仕事に打ち込んでいたという申さんだが、1冊の本との出合いでそのキャリアビジョンをガラリと変えることになる。 【関連画像】『LIFE SHIFT』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著、池村千秋訳、東洋経済新報社) ●『LIFE SHIFT』との衝撃的な出合い 私がかつて勤務していたゴールドマン・サックス証券では、当時、40代でキャリアを上り詰め、その後はリタイアするか、少し緩やかなキャリアに移行する人がほとんどでした。定年を視野に入れつつ昇進していく考え方は少なく、とても短いスパンでキャリアを形成していく。私自身も、「キャリアを早く駆け上がるスピード感」に魅力を感じて20代を過ごしていました。 『 LIFE SHIFT(ライフ・シフト) 』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著、池村千秋訳、東洋経済新報社)は、そんな私に衝撃を与えた1冊です。 長寿化が進み「人生100年時代」がそこまで来ている。社会も経済も医療も変わる中で、これまで描いていた生き方自体を変える必要がある。私も100歳まで生きるとしたら、40代でリタイア、あるいは緩やかなキャリアに移行した場合、残りの60年をどう過ごすのだろうか。余暇というにはあまりに長過ぎるし、緩やかに働いてもつまらないかもしれない…。 この『LIFE SHIFT』と出合ったことで、「40代で仕事人生が上がる」という未来像に疑問を持ち始めたんです。 そうして、私は34歳のとき、キャリアの「上がり」を待たずにゴールドマン・サックスを退職し、GENDAを共同創業者として設立しました。『LIFE SHIFT』に出合っていなければ、会社を辞めて起業するという選択はしなかったかもしれません。 起業はリスクが大きいから腰が引けるという人もいます。でも、私は当時からそれほど大げさに捉えていませんでした。自分にはこれまで会社員として培った10年以上の経験があるし、しっかり働いて実績を作ってきた自負もある。万が一、起業がうまくいかなかったとしても、サラリーマン生活に戻ればいいと考えていたからです。 ●「3年分の年収」以外は、大した損失じゃない 「会社を退職することで生じる一番の損失は何か?」を考えてみると、唯一の損失は、サラリーマンを続けていたら得られていたはずの「3年分の年収」くらいだと思いました。お金は大事ですが、失敗したとしても得られるものの大きさと比べれば、自分の「3年分の年収」を担保にチャレンジを諦める理由にはならなかった。 「うまくいかないこと」を重く捉えすぎる人もいますが、「優秀な人」「成功した人」という他者からの評価は、そのときどきで意見が変わるものなんですよね。 だから、起業を決断したときも、唯一の損失として考えられるのは「3年分の年収」を失うことくらいで、自分に対する誰かの評価が下がることは、私にとってはリスクのうちには入りませんでした。 そう思えたのは、ゴールドマン・サックス時代の苦い経験があったからかもしれません。 ●「できる子」から「要らないヤツ」への転落 入社後すぐに配属された部では、金融機関向けのデリバティブ営業の仕事が自分にフィットしていたのか、2年目まではとてもいい成績が残せていました。手前味噌ですが、会社からも「よくできる子」として評価されていた。 ところが、リーマン・ショックとともに債券営業部に異動になり、国内債券営業の担当になると、これといった成果を全く出せなくなりました。評価もみるみる下がり、その頃の給料は、一番稼いでいる同期の半分以下でしたね。 実力が重視される職場でしたから、「こいつ本当に使えないな」という空気はすぐに広がりました。周囲の私への評価が「よくできる子」から「できないヤツ」「要らないヤツ」に変わるのは、本当にあっという間でした。