シルクロードの失われた中世2都市を発見、驚きのマチュピチュ並み2000m超の高地
高地に都市が築かれた理由
歴史的に見て、高地に大規模な都市が建設されるのは珍しい。最も有名な例であるマチュピチュ、ペルーのクスコ、中国チベット自治区のラサはしばしば例外と見なされ、極限状態における人間の順応性の高さを示すものとされている。 けれどもタシュブラクとトゥグンブラクは、鉱石を溶かして金属を精錬するのに必要な高温の火を、山の強風を利用して起こすために、あえてこの地に建設された可能性がある。なぜなら予備的な発掘調査により、生産用の炉と思われるものが発見されているからだ。おそらく、古代の鍛冶職人たちが、この地域の豊富な鉄鉱石を、刀剣や鎧や道具に加工していた工房だろう。 「さらに調査する必要がありますが、この遺跡の大部分は、生産活動や、製錬や、その他の火を使った技術のためのものだったのだろうと確信しています」とフラチェッティ氏は言う。「午前中には太陽の熱で地面が温まり、長い山肌を吹き上がってくる強風が自然対流を起こします。金属加工には完璧な条件です」 研究者は、トゥグンブラクの経済は鍛冶やその他の金属加工業によって支えられており、その背景には、周辺に豊富にあった原料とシルクロードへの近さがあったのではないかと推測している。 「鉄や鋼は、馬や戦士とともに、誰もが欲しがる資源でした」とフラチェッティ氏は説明する。「当時は急速な変化の時代であり、誰もが生き残るための力を必要としていました。そして、ここは中世の油田地帯のような場所だったのです」
新たな山岳民族像
何世紀もの間、シルクロードの歴史家たちは、ウズベキスタン地域を支配した遊牧民族や低地の帝国に注目し、高地を周辺的なものとして見ることが多かった。しかし、広大な都市の存在は、山岳地帯にも独自の社会があって、複雑な経済、政治体制、文化を持っていたことを示唆している。 今回の発見により、高地の都市化は中央アジアにおける例外ではなく、より広範で複雑な中世の生活の一部だった可能性が浮上してきた。「通常の農業地域から外れた、大規模な都市が見つかるとは思えないような高地に、非常に大きな政体があったと考えられるのです」とフラチェッティ氏は言う。 彼らがどのような人々だったのかは今後の研究を待たなければならないが、当時一般的だった農耕社会とは異なる独自の生活様式を築いていたことは明らかだ。 「低地とは違った政治的な領域が高地に存在していたことが明らかになれば、中世の中央アジアで活躍した人々について、これまでとはまったく違った像が浮かび上がってきます」とフラチェッティ氏は言う。 「私たちの仮説が正しければ、新顔が登場したことになります」と氏は言う。「彼らは、しばしば歴史に描かれてきたような、馬に乗った野蛮人の群れではありませんでした。彼らは山岳民族で、おそらく遊牧民的な政治体制をとっていましたが、同時に主要な都市インフラにも投資していました。これは、中央アジアの歴史について私たちが知っていると思っていたことを全面的に書き換えるものです」
文=Tom Clynes/訳=三枝小夜子