72歳、第2の人生は地域と共に。親の介護、夫の死で何度も諦めかけた「高齢者のための場所を作る」夢は64歳でみごと花開いた
20代は専業主婦。30代から働き始めて50歳から親の介護が始まる
20代は3人の子どもの子育てに奮闘していましたが、30代に入り、子どもも成長したので、33 歳から仕事を始めました。仕事内容は在日米陸軍の会計事務所での勤務でした。友人に誘われて米軍基地のゴルフ場にアルバイトに行ったとき、ちょうど退職者が出るので、働かないかと誘いを受け、働くことにしました。 基地内は、日本語を話す人がいたので、なんとかなりましたが、上司はアメリカ人だったので、意思疎通がうまくいかず、英語に苦労しました。連絡は全て英文、書類はもちろん英語。自分の無能さに嫌気がさし、ストレスから胃潰瘍になったり、精神的に不安定になったりしてつらかったです。でも子どもたちにはそんな姿を見せたくないと思い、気合いを入れ直してがんばりました。 50歳から実母の介護が始まり、介護、仕事、子育てに毎日忙しかったです。それでも仕事すること自体は好きだったので、59歳まで働き続けました。
転機は64歳。1枚のチラシが諦めていた夢を後押し
50歳になり、第2の人生の生き方を模索しているとき、散歩がてら久しぶりに現在の店がある相武台団地商店街の前を通りかかりました。私が子育てしていた頃は賑やかで人も多く活気があったのに、商店街のシャッターはほとんど閉まり、まるでゴーストタウン状態。お年寄りがぽつんと座っているという変わり果てた様子でした。 高度経済成長期を支えてくれたお年寄りの寂しい姿を見てなんとかしたい! と思い、この場所で高齢者の居場所を作ろうと考えました。それから実の母の介護をし、仕事しながら資金、カフェの知識、飲食の資格、などさまざまな準備を始めました。 母を看取りそろそろと思い始めた頃、58歳から今度は主人の母の介護が始まったため、59歳で早期退職してカフェをオープンする計画を断念。私が60歳の頃に義母が亡くなり、2年後に夫にがんが見つかり、夫の看病に徹することに。このときはもうカフェのオープンは諦めていました。 64歳の頃、夫の看病の気分転換に犬と散歩に行ったときに、あの相武台団地を管理する神奈川県住宅供給公社によって再生プロジェクトを始めることになるというチラシをもらい、商店街に入る店舗を公募していたのです。 その年の5月に夫は亡くなり、喪失感でつらかったのですが、子どもたちの励ましにより思い切ってテナントの公募に応募。見事に選ばれて、お店の準備を半年間で整えて、年末に開業にこぎつけました。 オープンしても、お店にはお客さまが全然来てくれなくて、売り上げがゼロ、固定費ばかりかかって不安な日が続きました。それでも年中無休でカフェを開き続けて、2階をイベントスペースとして貸し出したり、フラワーアレンジメントの教室を企画したりするなどしてようやく3年目くらいから、お客さまがコンスタントに来てくださるようになりました。 何度も諦めようと思った夢でしたが、自分がやりたいことだったので、ここまでやってこれたと思っています。 年金と10万円とカフェのわずかな収入なので、貯蓄を毎月10万円くらい切り崩して、カフェの運営費や生活費に充てています。 現在の住まいがひとりでは広すぎるので売却して、小さな家に住み替える準備をしています。 100歳までがんばりたいと思います! 店の最高齢のお客さまは97歳で、いつも元気をいただいています。カフェの経営を通して、若い人たちを育てていけたらと考えています。
---------- 百田なつき(ももた なつき) 株式会社リクルートで営業・編集を経て、1999年からフリーランスのエディター・ライターに。書籍、WEBでの編集、ライターをしている。ファッション、メイク、ライフスタイル、エクササイズ、料理、インテリアなどの幅広い分野において、実用書の編集・制作を担当。編著に『結婚1年目のトリセツ』『おひとりさまの老後のお金と暮らしの本』『マンガでわかる ひとり暮らしのトリセツ』(全てマイナビ出版)など多数ある。 ----------
百田なつき