「どうしても性欲が止まらない」…人類学史を切り拓いた男の日記に残された「スキャンダラスな本音」
---------- 「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。 ※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。 ---------- 【画像】世界を変えた一人の男
欲望をコントロールできない
トロブリアンド諸島のフィールドワークに乗り出したマリノフスキはフィールドにおいて居心地の悪さを感じていました。では、現地で人類学者が感じる困難とは、いったいどのようなものでしょうか。ここでは、マリノフスキのフィールドワークからおおよそ100年後の現代における私自身のフィールドワークを比較対照させて、考えてみたいと思います。 2006年、私は当時勤めていた大学の研究休暇を利用して1年間の予定でマレーシア・サラワク州(ボルネオ島)のブラガ川上流に住む狩猟民プナンのフィールドに赴きました。最初、彼らの話すプナン語は雑音にすぎず、何を言っているのかが全然理解できず、苛立ちを感じたことを覚えています。 トイレはどこにも見当たらず、森の中で人に見られないように済ませなければなりませんでした。人びとからなにかにつけて現金を無心され、貸しても返ってきませんでした。自分用に持ち込んだ缶詰やラーメンなどは、食べものがない時に持ち出され、なくなってしまいました。プナンが森から持ち帰ってくる獲物のうち、リーフモンキー、カニクイザルの肉は私にとってはとてもまずく、喉さえ通りませんでした。そのような時に、私はなんでわざわざこんな辺鄙な場所に来てしまったのかと思い悩み、日本国内で空調の効いた部屋で快適に仕事をやっていたほうがどれだけよかったろうかと心の底から思ったのです。 実際はその後、葛藤を抱えながら現地で暮らしていくうちに、だんだんと自分自身がその土地に馴染んで一体化していくようになります。それがフィールドワークの醍醐味とも言えます。ですが、やはり現地に入った当初はストレスフルで精神的にも追い込まれるものです。私もフィールドに入って最初の数ヵ月は「こんなところに来なければよかった」と後悔ばかりしていました。 マリノフスキの感じていた現地での居心地の悪さは、私が感じたものとそれほど差はなかったのではないかと思っています。マリノフスキはヨーロッパ社会から隔絶した土地で、健康に不安を抱えながら、ままならぬ他者と接する中で苛立ち、腹を立てたり、現地の女性たちに性的な欲望を感じたりしながら、結婚相手となる白人の女性たちのことを妄想する、悩み多き日々を送っていたのです。