後発のヨーロッパ文明は、どのようにして世界史の領導者になったか
森と石、都市と農村が展いた後発のヨーロッパ文明は、世界史の領導者になった。西洋史の泰斗が、戦争・飢餓・疫病、ルネサンス・宗教改革・大航海を経てきた長大な文明をどのように読み解くかを語る(樺山紘一『ヨーロッパの出現』から引用する)。 [写真]フィレンツェ大聖堂 南は青い地中海、西は広大な波うつ大西洋、北は北極星かがやく冷たい大地、東は限りなくつづく草原。これらにかこまれて、ヨーロッパの国ぐにがある。ゆたかな麦畑と牧場、頑丈なかまえをみせる都市と建物、産業と生活のきらめくような栄華。いま、ヨーロッパは世界でもっとも密度のたかい文明をいとなんでいる。だが、当然のことながら、ヨーロッパとても、はじめからそのような形姿をあらわしていたわけではない。何百年、いや何千年の時間の歩みのなかで、自然をつくりかえ、社会と生活をうみだしてきた。本書では、その気の遠くなるような歩みをたどる。
後発の文明
ユーラシア大陸のなかでは、ヨーロッパ文明はかなりな後発者であった。オリエントや中国やインドの古代文明にはるかに遅れて、歴史のなかに登場する。どのようにして、この後進文明は、先進文明にまなび、追いつき、そしてのちにはこれらを追いぬいて、世界史の領導者になっていったのだろうか。そのいきさつを、順序だててつぶさに語るのは、とても一冊の書物の、よくなしうるところではない。ここでは、通常おこなわれているような、通史のかたちを避け、むしろ、歴史を読み解くための立場をはっきりさせ、それに沿ってヨーロッパ史をたどってみたいと考えている。ささやかなりとも、ヨーロッパ理解の更新に資するところがあれば、さいわいである。 その立場について、あらかじめごく概略だけを、掲げておくことにしよう。
文明を読み解くには
第一に、このヨーロッパ史は、その大陸の新石器時代から語りはじめられる。それをになう民族がいずれであれ、ヨーロッパの土地に暮らしその生活体験をたくわえ、継承したものは、みなヨーロッパ人だというべきであろうから。しばしば、ことに当のヨーロッパ人の歴史家たちがおこなうような、オリエント文明やギリシア文明から説きおこすヨーロッパ史は、ここでは斥けられる。それらの偉大な古代文明は、ヨーロッパ人にとっていとおしいモデルではあろうけれども、ヨーロッパとは異なる文明である。 第二に、歴史の内実をなす人間の営みは、社会組織ばかりではない。国家や生産のありかたは、重要な枠組みではあるけれども、しかし、それらは、より広範な枠組みである「文明」の一環をなしていると、考えられる。文明とは、気候・植生・自然素材など、一言でいえば環境のなかで、つくりだされる。そこで援用される技術や、さらにその技術を組み立てる精神、さらにまた、その結果として造営される社会組織や日常生活、つまり一口でいえば文化。文明とは、環境と文化とがうみだす織物である。ここであつかおうとするものは、かくして「ヨーロッパ文明史」である。文明を有機体とみなし、その生体の誕生と成長と死とを、あたかも人生のごとく説明しようとする、これまでの文明史と、どこが異なるかは、本文がたくみに、語りえているだろうか。 第三に、ヨーロッパとは個々の地域、個々の要素の集合ではあるが、同時に一つの構造、システムとして観察することができる。そのシステムがどのような構成原理を内包しているか。そのことが、ヨーロッパを全体としてとらえるための、不可欠のテーマとなるはずである。各国別の国民史、地域史をこえた全体史が、必要とされよう。 第四に、本書では歴史家がながい間なじんできた歴史時代区分を、採用していない。つまり、古代、中世、近代という三区分法を断念している。その区分法には、それなりの理由があるけれども、不都合もまた、いま目立ってきたようにみえるからである。むろん、これにかえていくつかの時代区分標識を、導入している。さらに、歴史の展開において、明瞭にあらわれる大きなリズムを、ことのほか強調している。建設と改新、破壊と停滞の交替がヨーロッパ史をリードしていることを、確認したいとねがってのことである。 第五に、ヨーロッパの歴史を、結果のわかった必然的なサクセス・ストーリーとしてではなく、予断の許されぬ事件の連続として描こうとしている。その事件とは、政治的事件ばかりではなく、文明の構造を動かすさまざまな事件のことをさしている。いうならば、ヨーロッパの出現そのものがひとつの事件であるといってもよい。 以上のような、歴史への立場から、ヨーロッパ史を通観したいとかんがえている。その立場は、さしあたりは、私的な主張にすぎないが、現代の歴史学がかかえる問題状況に、きわどいかかわりを求めたつもりではある。 これらのこころみの成否について、読者の冷徹な判断をまちたいとおもう。[後略]
学術文庫&選書メチエ編集部