父の“水虫”が引き金に!?40年間無職の女性が語った「ひきこもり」の実態とは?
社会とのつながりをつくろうと奮闘。それでも40年間無職なのはなぜ?
近年なにかと問題視されている中高年のひきこもり。「8050問題」というネーミングがついたり、ひきこもりの中高年が起こした事件が大々的に報道されたりすることで、陰鬱なイメージがついてしまいがちですが、実際のところはどうなのでしょう? はたして、ひきこもりやニート状態にある中高年すべてが、家族や社会との関係を遮断し、誰と話すこともなく狭い部屋に閉じこもっているのでしょうか? そのあたりの実態を垣間見ることができるのが、当事者が書いた『気がつけば40年間無職だった。』というエッセイです。 著者の難波ふみさんは、小学校高学年から不登校&ひきこもりの生活を始めたそうですが、本書を読むと完全に家にひきこもっていたわけではく、アルバイトに応募したり、定時制高校に通ったり、友だちをつくったり、異性と付き合ったりと、社会とのつながりをつくろうと奮闘してきたことが分かります。 それでもひきこもりや無職の沼から抜け出せないのはなぜなのか? 今回は本書の一部を紹介しながら、中高年のひきこもりの実態に迫ろうと思います。
不登校&ひきこもりの入口は、引っ越しと父の“水虫”!?
ふみさんの人生が最初に“暗転”したのは、小学校1年生の中期くらいのこと。生まれ育った神奈川県川崎市から千葉県市原市への引っ越しがきっかけでした。それまでは臆病ながらも友だちができ、楽しく学校生活を送っていましたが、恥ずかしがり屋の内弁慶な性格である彼女は、環境の変化にうまく対応できませんでした。 「学校生活ではまず、登校初日に教室に入ることから渋り、先生に無理やり皆の前に引きずり出され、まともな自己紹介もできず泣き出す、という既視感のある人見知りのフルコンボを発動してしまったのだ。時期外れの転校生に浮足立っていたであろうクラスメートたちをがっかりさせてしまったのを肌で感じた私は、さらに落ち込むという悪循環」 生活環境の変化は心が繊細なふみさんにとってかなりのダメージがあったようで、バスを1本逃すと長く待たなければならない、といった大したことなさそうな変化でも彼女の心を蝕んでいきました。 さらに追い打ちをかけるように、ふみさんの心を闇の方へと追いやる出来事が起こります。それはとても意外なところからやってきました。 「父が水虫になったことからだと思われる。なんだ、そんなこと、と言われそうだが、これは真剣な話なのだ」