「自動車評論家」はSNS時代に必要か? 今や誰もが持論展開、「5つの批判」を通して考える! 令和版「徳大寺」「三本」は現れるのか
専門家不要論に揺れる時代
SNSが普及したことで、自動車評論家やライターは新たな課題に直面している。 個人が自由に意見を発信できる場が増えたことで、専門家としての存在価値が再評価されるようになった。 【画像】「えぇぇぇぇ!」これが日産自動車の「平均年収」です! 画像で見る(10枚) また、彼らに対する 「批判の声」 も少なくない。 しかし、こうした批判に対して、今回は主な五つに回答し、SNS時代における自動車評論家やライターの真の価値を再定義することで、彼らが果たすべき重要な役割を示したい。
批判1「メーカーとの癒着疑惑」
一部の読者や視聴者は、自動車評論家がメーカー寄りの発言をしていると感じ、 「広告の延長ではないか」 と疑っている。この批判には一定の妥当性がある。特に、メディアが提供する情報に商業的なバイアスが含まれる可能性を考えると納得できる部分もある。しかし、評論家の役割はこうした疑念を払拭することだ。 まず、専門家は常に 「批判的な目線」 を持ち続ける必要がある。メーカーから試乗車を提供されたり、イベントに招待されたりする機会が多い状況でも、評価基準を明確にし、そのプロセスを透明化することで信頼性を高められる。 また、批判的な記事を書いたり、ネガティブな側面を指摘することを恐れない姿勢が求められる。評論家の本質的な価値は、メーカーの都合を超え、消費者にとっての真の価値を見極める力にある。 さらに、SNSでは得られない 「体系的な視点」 を提供することで、疑念を払拭できる。SNS投稿は断片的で、個別の体験に基づく意見が多い。 一方で、評論家は特定の車種だけでなく、メーカーの歴史や戦略、技術革新の流れを踏まえて、より深い分析を行える。この視点はSNSユーザーには再現しにくく、専門家の信頼性を補強する要素になる。
批判2「情報の偏りや古さ」
自動車評論家が新しい技術やトレンドを十分に取り上げず、偏った視点で語っていると指摘されることがある。でも、評論家の役割を正しく理解すれば、この見方も変わってくる。 評論家の仕事は、ただ最新情報を追いかけることではなく、その情報が持つ 「意味」 を深掘りして、読者に分かりやすく伝えることだ。新しい技術が出るたびに、それがどんな背景で生まれたのか、社会や経済にどんな影響を与えるのかを考察するのは、評論家だからこそできることだ。 さらに、評論家は 「普遍的な視点」 を提供できる。トレンドは常に変わるけど、車そのものが持つ文化的・技術的な価値は、長期的な視点で評価されるべきだ。こうした視点を示すことで、SNSで流行に振り回されがちな情報消費の流れに一石を投じることができる。