日本のおかげでエヌビディアは世界一の企業になった…創業2年目の倒産危機を救ったゲーム会社の粋な計らい
2024年6月に時価総額で世界1位となったNVIDIA(エヌビディア)とはどんな会社なのか。国際技術ジャーナリスト津田建二さんは「原点は、ゲーム用のグラフィックス画像を描くためのコンピューティング技術であり、それを実現する半導体チップを設計していた。ゆえに、創業当初は日本のゲーム会社との関係が深かった」という――。(第1回) 【画像】エヌビディアの創業者ジェンスン・フアン氏 ※本稿は、津田建二『エヌビディア 半導体の覇者が作り出す2040年の世界』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。 ■世界の頂点に立ったエヌビディアの正体 エヌビディアは、2023年5月に1兆ドル(当時約140兆円)超えのプレイヤーになった。そこから約1年後に時価総額が3兆ドル(当時約468兆円)を超え、しかも一時、世界のすべての企業のトップに輝いた。あまりにも金額が大きすぎて、ピンとこない人も多いだろう。 それまで1位だったのはマイクロソフト。かつてパソコンのOS(オペレーティングシステム)と言われるWindowsでパソコンブームを作った中心プレイヤーだが、最近はクラウドビジネスに力を入れており、時価総額が高かった。 数年前に聞いた話では、マイクロソフトは三十数カ国、五十数カ所にそれぞれキャンパスと呼ばれるほどの広さを持つデータセンターを設置しているという。データセンターとはサーバと言われる高性能なコンピュータを数百台、数千台も設置している場所のことだ。マイクロソフトは自前の船で光ファイバーケーブルを敷設し、世界中の巨大な数のコンピュータをつなげたクラウドコンピュータサービスを提供している。 もはやWindowsの会社ではないというわけだ。では、そのマイクロソフトを抜いてトップになったエヌビディアとはいったい何者なのか。
■当初はゲーム用の半導体をつくっていた 2007年頃、東京赤坂にあるエヌビディアの日本法人で開催されたゲーム機用GPU(Graphics Processing Unit)の新製品発表に初めて出掛けた時、いつもの半導体企業の発表会とは様子が違って、筆者は「場違いなところにきてしまった」と思ったことを覚えている。 ゲーム機用のボードとパソコン用のディスプレイが展示されており、当時のいわゆる“パソコンオタク”のようなPC雑誌の記者がとても多い印象だった。それがエヌビディアとの最初の出合いで、当時エヌビディアはゲーム機の画像用のグラフィック半導体チップを作っていたのだった。 その後2011年に、筆者は自動車のダッシュボード向けの高集積SoC(システムオンチップ、System on a chip)「Tegra2」について取材するため、東京のエヌビディアを訪れた。 Tegra2は自動車のダッシュボードでカーナビを見せたり、スピードメーターを液晶画面上にグラフィックスで表示したりする、情報と娯楽を組み合わせたインフォテインメントの用途で開発されたものだった。時期尚早だったのか、自動車向けはうまくいかず、その後Tegra2の話は出なくなった。 それが2016年になると、エヌビディアはAI(人工知能)一色になっていた。 ■創業2年目に訪れた倒産危機 日本国内で開催されたGPU技術会議で、「パイトーチ(PyTorch)」や「テンソルフロー(TensorFlow)」など主要なAIフレームワークを試したり、日本の代表的なAI企業であるプリファードネットワークスとコラボしてみたりするなど、同社はAIに力を入れ始めていたことがわかった。以来、筆者は「エヌビディアはAIの会社」と見るようになっていった。 AI関連の起業家には、アルゴリズムを開発して、これまで見えなかった事実を見えるようにしようと考える人が多い。 しかし、そのアルゴリズムを実行するには、クラウドコンピュータやスーパーコンピュータのような高性能なコンピュータが強く求められる。そのコンピュータを動かす技術を辿っていくと半導体に行き着くことになる。そこにいるのがエヌビディアなのだ。 エヌビディアの物語はアメリカンドリームを実現させた成功物語のように見えるかもしれないが、実は大きな失敗もしていたことが知られている。エヌビディアの物語を掲載した米国最大のビジネス雑誌『FORTUNE』の記事(2001年9月)から少しピックアップしたい。 1993年にシリコンバレーで誕生したエヌビディアの原点は、ゲーム用のグラフィックス画像を描くためのコンピューティング技術であり、それを半導体チップで実現しようとしていた。