二十歳のとき、何をしていたか?/近田春夫
日劇ロックカーニバルの後は、高校時代から縁のあった内田裕也さんの率いる1815ロックンロールバンドに誘われたというから、やっぱり話が早い。事件が起こったのは、バンドのお披露目として情報番組『リブ・ヤング!』に出演したときだった。 「プロデューサーから、『あるアマチュアバンドがどうしても前座をやりたいって言っているんですけど、どうしますか?』って打診があったんですよ。裕也さんは面白がって許可を出したんですが、そのバンドがリハーサルから裕也さん含めメンバー全員が『これは負けたな』って思うくらい、サウンドからいでたちまですごい迫力で、僕たちのバンドは気落ちしながら本番を迎えたんです。それがデビュー前のキャロル。その後、1815ロックンロールバンドはクリエイションというバンドを迎え入れて継続したんですが、僕としてはだんだん方向性の違いを感じるようになって。だけど、裕也組みたいなものだから、辞めたいなんて言えないんですよ」 考えあぐねた末、出した答えは自分のバンドを組むこと。「動機としては不純なんですけど、それなら許してくれるかなと思って」。なにはともあれ誕生したのが、近田春夫&ハルヲフォンだ。 すぐにレコードデビューを目論むも、レコード会社の返答は斜め上を行くものだった。「当時、ダッコちゃん人形っていうのが流行っていて、そのキャンペーンソングを作ったら、オリジナルのレコードも出してくれると言われたんです。しかも、今から思えばかなり差別的な話ではあるんですが、ダッコちゃん人形って黒人の子供を模していたので、『黒人女性シンガーのキャロン・ホーガンをボーカルにして』って言われて。これも経験かなと思って『FUNKYダッコNo.1』ってディスコロックを作ったんです。当時の僕らが作っていたのはTレックスみたいなロックだったんですけど。いい加減な話ですよね(笑)」
約束どおりにオリジナルのアルバム『COME ON, LET’S GO』を発表できたのは、25歳のとき。今や名盤と誉れ高い一枚だが、当時の世間の反応は冷ややかだったという。 「全然売れなかったですね。まぁ、いつか評価されるとは思っていましたけど。ただ、一方で僕の活動はすべて悪ふざけとも思っているもんですから、理解されないことは前提でもあるんです。僕の中には、勤勉さといい加減さが、両極端に存在しているんですよ。それを持て余すこともあるんですけど、そんな性分だからこそ、この年までやってこれたのかなとも思います。だけど、最近は思ってます。そろそろちゃんと評価してくんないと、俺も怒るよって(笑)」
プロフィール
近田春夫|1951年、東京都生まれ。高校在学中から音楽活動を開始し、今に至るまで多種多様なジャンルを開拓。その傍ら、作曲家やプロデューサーとしても活躍。「チョコボール」などのCMソングも手掛けている。自伝『調子悪くてあたりまえ』が発売中。 photo: Takeshi Abe, text: Keisuke Kagiwada(2021年5月 889号初出)
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