「高倉健さん」との秘話を著書で明かしていた意外な“元プロ野球選手”…共演歴だけでなく「高級腕時計を2本もらった」ことも
3度の共演
高倉健没後、11月10日で10年を迎えるという。敢えて「という」表現に拘るのは、直接お会いして話をうかがったこともないのに、「迎える」では周辺に身を置いていたことをにおわすようで、気が引けるからである。 【写真】健さんと関係が深く、ヤンキースのグラコンをカッコよく着こなす“元プロ野球選手”は今どこに?
しかし、映画「昭和残侠伝」に代表される、男の生きざまを閃光のごとく描いたヤクザ作品がある一方で、「幸福の黄色いハンカチ」のように人の情愛をえぐるような作品でも主役を演じた健さんのことが気になっていた。そんな想いの中で、映画俳優・高倉健を語る人に2度巡り合うことができた。 一人はやくざ映画から、「あなたへ」(2012年)など、後年の名作まで20本を手がけた降旗康男監督。もう一人は、3作品で共演した元プロ野球選手で、タレント・俳優と幅広い活躍で知られる板東英二さんである。 板東さんは2011年に植毛の費用が経費で落ちなかったことなどで、修正申告騒動に巻き込まれた。よくよく話を聞くと、これには板東さんなりの事情があった。 ドラマはもとより、健さんの映画に出るからには、外見を取り繕うのは当然と考え、植毛代などを経費として計上していたが、税務署は認めず、修正申告してことは収まったはずだった。ところがそののち、「悪質な所得隠し」などとして話を蒸し返され、板東さんは謹慎することになる。 筆者が夕刊紙に在籍中、謹慎中の板東さんに連載をお願いしたところ、満州からの引き上げから植毛騒動までを語ってくれた。そして改めて話をうかがい、ご本人が書いた原稿も合わせてまとめたものが『板東英二の生前葬』(板東英二著、双葉社刊)として書籍化された。 メインになったのは、プロ野球選手時代に交流が多かった長嶋茂雄と王貞治(ON)の黄金コンビ、そして高倉健についてだった。
「コーヒーをお飲みになりますか」
共演の最初は89年公開の「あ・うん」、そして94年の「四十七人の刺客」、99年「鉄道員(ぽっぽや)」と続く。このうち、「あ・うん」と「鉄道員」は降旗監督だ。 初対面は「あ・うん」の撮影が行われた東宝撮影所の板東さんの楽屋だった。ドアがノックされ「どうぞ」と答えると、そこに立っていたのは紛れもなく映画でしか観たことのない健さんだった。 そもそも、大スターが自ら共演者の楽屋に挨拶に出向くなどという話は聞いたことがない。しかも、背筋が伸びたその姿に圧倒されただけでなく、「コーヒーをお飲みになりますか」と言いながら、マグカップを差し出したという。ONを前にしても、おじけづくことがなかった板東さんにとっては驚嘆の出会いだった。 向田邦子原作の「あ・うん」の撮影現場では、健さんの意外な一面も。物語は板東さん演じるサラリーマンの水田仙吉と健さん演じる親友の実業家、門倉修造の話を中心に進む。その中で、二人が将棋を指すシーンがある。最初はお互いにパチパチと打ち合っていた。そのうち、門倉が無言になり、長考に入った。 その時、アドリブを入れるならここしかないと咄嗟に思った板東さんは「おい、門倉、早く打てよ」と言おうとした。ところが、慣れないアドリブを入れようとしたのが災いしたのか、「おい、高倉、早く打てよ」と言ってしまった。 実はこれには伏線があった。その日、たまたま板東さんの支援者が撮影を見にきていた。板東さんは健さんにも支援者を紹介したところ、気を遣った健さんが、支援者の前では自分のことを「高倉」と呼ぶように言われていたという。それで撮影中にいいところを見せようという気持ちも働いたのか、「門倉」が「高倉」になってしまったようだ。 その時の健さんの反応が面白い。「呼び捨てにしたな」。そう言って健さんはニヤッと笑ったという。 〈軽く受け流してくれればいいものを、そこはチクリと一言刺す。健さんらしい茶目っ気だと思います〉(前掲書より)