女優・高橋惠子さん(69)仕事と子育ての多忙な時期も、“演じる”ことで乗り越えました|STORY
ドラマや映画、舞台と幅広く活躍している高橋惠子さん。エレガントな美しさと優しく穏やかな声が印象的ですが、15歳で鮮烈にデビューした後、奔放と言われ、波乱の道を歩んだ時期もありました。映画監督の夫・高橋伴明さんと結婚したのは1982年。一時は4世代で住んでいた東京郊外の家に今は夫婦二人で暮らし、20歳を筆頭に5人いるお孫さんとは「もはや友達のようです」と柔らかな笑みを浮かべます。自然体という言葉が似合う、たおやかな69歳。その来し方と今をお届けします。
世間のイメージ、人間関係に追い詰められた20代前半
スカウトを機に中学生時代から大映の研修所で演技のレッスンを受けていた高橋惠子さんが、映画『高校生ブルース』で“関根恵子”としてデビューしたのは15歳の時。2本目の映画『おさな妻』では、子持ちの男性と結婚する女子高生を熱演し、ゴールデンアロー賞新人賞を受賞しました。17歳の時にはドラマ『太陽にほえろ!』に婦人警官のシンコ役で2年間レギュラー出演し、人気を博しますが、その一方で、過酷なスケジュールや世間の勝手なイメージ、人間関係などに追い詰められていったといいます。22、23歳の頃にはストレスがピークに達し、女優業を休んで飛騨の山村で生活。一度は舞台で復帰を試みますが、結局、途中で投げ出すことになり、仕事を再開したのは1980年、25歳の時でした。 「15歳から仕事を始めて、休みもほとんど無い中、多感な時期を過ごして……。20代前半はすべてに追い詰められているように感じていました。死にたいと思ったこともあります。もちろん今なら、死んですべてが綺麗に許されるなんて、あり得ないことだとわかりますけれども、当時は、自分はそれだけのことをしてしまったのだから、死んで綺麗になります、みたいな気持ちでした。テレビドラマのお話をいただいたのは、舞台に穴をあけて1年経った頃だったと思います。他にできることもないし、そういうふうに声をかけてくださるならやってみようと思って、演じる仕事に戻らせてもらいました。やっぱり、受け入れてくれる場があったことが大きいですね。いくら自分が『またやりたいです』と言ったところで、『それは無理だよ』と言われれば叶わないことですから」