祖父は戦時中、父島・母島にいた…新聞記者が「硫黄島を報じ続ける」意味とは何か
硫黄島報道を続ける意味
「父島ノ皆サン サヨウナラ」 父島の通信隊が受信した硫黄島発の最後の通信は、そんな電報だったと伝えられている。 僕の祖父は戦時中、父島、母島にいた。つまり、電報を受け止める側にいた。祖父が当時、この電報を知っていたかどうかは分からない。ただ、僕は父島兵士の孫として、硫黄島の歴史の風化に抗わなくてはならないと考えてきた。そして今、毎朝4時に起きて、この十数年間、多くの方から託してもらった情報を社会の皆さんと共有すべく、この本を書いている。そのために20年以上毎日飲み続けた酒を止めた。妻や子供たちとの時間を減らした。どうしてそこまで「硫黄島」を続けるのか。記者人生で最も多く受けた質問だ。そんな問いかけに対して、僕はうまく整理して答えを返すことができなかった。 新聞記者が硫黄島を報じ続ける意味は何か。極めてシンプルな「最適解」を発したのは、毎日新聞の栗原俊雄専門記者だ。硫黄島の遺骨収集現場の現状を報じるため現役記者として初めて遺骨収集団に加わった、戦争報道のスペシャリストだ。栗原さんと僕は2022年11月、新聞業界としては異例の所属会社を超えた越境トークイベント「それでも僕らは戦争報道を続ける」を行った。 なぜ硫黄島を報じるのか。そのイベントで栗原さんはこう話した。 「最大の戦後未処理問題は遺骨収集問題だ。遺骨収集問題の象徴は硫黄島だ」 これこそがすべてだ。この言葉を聞いたとき「Q.E.D.(証明終わり)」の文字が頭に浮かんだ。 未だに1万人が行方不明の硫黄島の現状を報じることは、戦争が終わっていない実情を伝えることなのだ。先の大戦の海外戦没者は約240万人。そのうち未だに現地に残されたままの戦没者は約113万人に上る。約52万人が戦死したフィリピンでは、約37万人が未収容だ。硫黄島とは桁違いの状況となっている。だが硫黄島は、フィリピンを含む激戦地と違い、日本の領土だ。ましてや首都東京の一部なのだ。硫黄島での進展なしに、海外各地での進展はないだろう。 僕は、なんでもござれのスーパー記者ではない。「全道大会で優勝」「全国コンクールで入賞」。そんな話題の取材をするとき、いつも我が身を振り返って「僕は何も成し遂げたことがない」と情けなく思う。ザ・ビートルズは「life is very short(人生はとても短い)」と歌った。僕が限られた記者人生の中で最も伝えたいのは、突き詰めると「戦争の悲惨さ、平和の尊さ」だ。硫黄島の歴史にはその教訓が刻み込まれている。硫黄島を集中的に報じることは、伝えたい教訓を伝えることにつながる。そう考えて、僕は、新聞記者の業務時間外の時間を使って、硫黄島の取材、発信を続けている。
酒井 聡平(北海道新聞記者)