信州に夏告げる「ながの祇園祭」 屋台が街を練り歩く
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伝統の奉納屋台が巡行する長野市の「ながの祇園祭」が9日同市内であり、にぎわいました。市内各町に伝わるきらびやかな屋台上の踊りや獅子舞などが沿道の市民らを楽しませ、信州の夏本番を演出。かつては全国的にも知られた祇園祭で、一時中断したものの復活し、長野の主要イベントの一つになっています。
かつては日本三大祇園祭の一つといわれ
善光寺の近くにある弥栄(やさか)神社の大祭として古くから夏に行われた祇園祭は、かつて日本三大祇園祭の一つともいわれ、一時は10数基の屋台が練り歩きました。戦後、一時中断し、7年に1度の善光寺の御開帳に合わせての開催になりましたが、2012(平成24)年から毎年の開催が復活しました。 今年は権堂(ごんどう)町、南石堂町、上千歳町、元善(もとよし)町の4町の屋台が午前8時前から市内をそれぞれ巡行。ほかに北石堂町と東町が目抜きの中央通りなどで屋台を披露する「置き屋台」を華やかに繰り広げました。
午前10時、神の代理として選ばれ「お先乗り」と呼ばれる少年が神域との境界となっている綱を馬上から日本刀で切る「綱切り式」で、4つの屋台がそろって巡行を開始。お先乗りには神が乗り移っているとされ、人々の幸せを祈りながら市内を練り歩きました。 昼近くには屋台が善光寺山門に出向き、屋台が踊りなどを奉納。境内を埋めた見物客を楽しませました。
明治初期に作られた歴史ある屋台も
実行委員会などによると「置き屋台」のうち北石堂町の屋台は1932(昭和7)年完成で、1964年に化粧直しをし、現在は「登龍」「降龍」の彫り物が施されています。さらに屋台の周囲に彫り物を施せば完璧な屋台になるとされています。 東町の「置き屋台」は、神社などの彫刻を彫る長野市出身の宮彫師(みやぼりし)山嵜儀作の1872(明治5)年の作で、市内では2番目に古い屋台。めでたい松や縁起の良い鷹(タカ)などのデザインを施しています。東町には屋台を収蔵する「屋台蔵」があり、見学できます。 この日は屋台巡行と併せて歩行者天国でかるた大会やパレードなども行い、家族連れでにぎわいました。
--------------------------------- ■高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者・編集者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説