80代両親の家じまい「本当は商店街のそばで暮らしたい」母の一言から始まった実家の整理「最後は住みたい町に暮らす」幸せ
ライフスタイルの大きな変化は、何がきっかけになるかわからない。「本当は商店街のそばで暮らしたい」そんな母の一言から、出会った小さなマンション。実家売却、遺言書作り、家財道具を手放し、親子で目指した新たな暮らし方とは? 【画像】終の棲家に選んだの商店街の近くのマンションだった
新しい老後の過ごし方を描くエッセイ『最後は住みたい町に暮らす 80代両親の家じまいと人生整理』(集英社)より一部抜粋・再編集してお届けする。
80代半ばでマンションを買う
天草旅行も終わり、親の家に戻り東京に帰る支度をしていると、いつものようにエプロン姿の父がお茶を飲んでいた。父の担当家事、食器洗いを終えてくつろいでいるのだ。 本当はどこにも行かず自分専用のソファに座って、この家から窓の向こうの海を眺めたり、テレビを見ていたいのだろう。それほど父は自分の建てたこの家を愛している。 「やっぱり我が家が一番落ち着くねぇ」と幸せそうに父が言った。すると母は、「そりゃそうだけど、時々よそに連れて行ってもらわないと、私はもたないのよ」と反論。母のストレスは極限のようだ。 父はその意味が理解できないようで、大げさだなと笑った。その後、いつものようにメガネがないと、あちこち探し始め、母が重たい腰を上げた。 東京に戻ることに後ろ髪を引かれた。両親には身内に代わって手助けしてくれる人が必要だ。 母に手伝ってくれる人を探そう、タクシーを使おう、お掃除サービスを入れよう、多少お金を払っても楽をした方がいいと訴えるのだが、ことごとく却下された。高齢になったらサービスてんこ盛りの素敵な高齢者住宅に住みたい私からすると、なぜ、もっと人に任せないのか歯がゆいばかりだ。それで母が幸せならいいのだが、疲労をため込み、体調を崩してもなお、自分で全てをやろうと死守する。 その根幹は何なのか。自分のペースを崩されたくない。人に介入されて自分の思うようにできないのなら、きつくても自分でやる、と決めているのだ。
何度かあった良縁とのすれ違いの末に
もし母が町に引っ越したらどうなるだろう。弁当屋も惣菜屋もあるから、小銭を持って商店街に行けば、食事は何とでもなる。通いの病院も近いから、バスで往復1時間使って通院することもなくなる。 そう考えた時、もう一度商店街エリアを見たいと思った。東京に戻る飛行機が出るまで少し時間があると車を飛ばす。 見慣れた商店街はのんびりと買い物袋を下げた人たちが歩道を行き交っていた。 歩き進むと、商店街のほど近くでマンションの建設工事が始まっていた。工事のお知らせを見るとそれは、威勢のいい営業さんに完売ですと告げられたマンションだった。 何と、こんないい場所だったのか。キャンセル住戸は無いのだろうかと営業さんにその場から問い合わせた。だが、「皆さんから同様のお問い合わせをたくさん頂いてるんですが、完売なんです」と、念を押すように言われた。 これまでも何度かあった良縁とのすれ違い。再び得がたい物件購入はタイミングを違えないことだ。 営業さんは、そこのチラシをご覧になったらどうか、みたいなことを言って電話を切った。 見ると建築確認書が書かれたボードの横にボックスがあり、チラシが入っていた。さっき営業さんが見ろと言っていたのはこれか。広げてみると、現地案内図が載っている。なんとここから近いようだ。 慌てて向かってみれば、地図の示す空き地にはすでにロープが張られていた。近くには高い建物もなく、建設地からの視界は開け、正面には弓を描くようになだらかな山が重なり合っている。これまで見た中で最高の立地ではないか。間違いなくここに、マンションが建つのだ。