【ぴあ連載/全13回】伊勢正三/メロディーは海風に乗って(第9回)『WINDLESS BLUE』から『海風』へ
「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお多くの人に受け継がれている名曲の生みの親として知られる伊勢正三。また近年、シティポップの盛り上がりとともに70年代中盤以降に彼の残したモダンで緻密なポップスが若いミュージシャンやリスナーによって“発掘”され、ジャパニーズAORの開拓者としてその存在が大いに注目されている。第二期かぐや姫の加入から大久保一久との風、そしてソロと、時代ごとに巧みに音楽スタイルを変えながら、その芯は常にブレずにあり続ける彼の半生を数々の作品とともに追いかけていく。 【すべての画像】『WINDLESS BLUE』ジャケットほか 第9回 『WINDLESS BLUE』から『海風』へ ヒット曲が出て、曲作りに没頭していると、だんだん自分のやりたい音楽の形というものが見えてくるようになった。もちろんそれはその時々で変化していくものなのだが、その時点──つまり、風の2ndアルバム『時は流れて…』(1976年1月)の後、僕のイメージにあったひとつの見本は、スティーリー・ダンだった。 1976年5月にスティーリー・ダンの5枚目のアルバム『The Royal Scam(邦楽:幻想の摩天楼)』が出て、かっこいいな、まさに自分の目指すものがここにあるなと思った。しかし、明らかにすべてのレベルが高すぎて、目指そうにもとてもできそうにないということだけははっきりわかるほどのものだった。それでも彼らの1stアルバム『Can’t Buy A Thrill』(1972年)であれば何とか参考にできるかもと思い、そうした作品を聴き漁って、アーバンで怪しげで霧が立ち込めているようなもわっとしたサウンドイメージを自分なりに模索し始めた。 それでできたのが風の3rdアルバム『WINDLESS BLUE』(1976年11月)の1曲目に収録されている「ほおづえをつく女」だった。イントロから最後までひとりで精緻なデモテープを作り上げた作品だった。最初にイントロがバンッと思い浮かんだのが全て。そのデモテープをアレンジャーの瀬尾一三さんに聴かせたら、ニタッとして「いいじゃん」って言ってくれたのがうれしかった。あの頃僕は、瀬尾さんをはじめエンジニアやミュージシャンの人たちといった、音楽に携わる身近なプロフェッショナルたちに受けるものを作りたいと思っていたし、まず彼らに受けることが重要な試金石でもありモチベーションでもあった。彼らが認める音楽であれば、それは自ずと自分の目指す音楽に通じるだろうと。