奥田瑛二「45歳か50歳で国会議員になる」上京に反対する父親を説得した大芝居
お前、良い声しているから選挙カーに乗れって
その頃、世間的にはちょうど「70年安保」の時代で、学校も封鎖ということがあった。せっかく大学(明治学院大学法学部)に入学したものの授業は無く、試験も無く(というか出来ず)、レポート提出で卒業していくという学生が多い時代であった。その中で、奥田さんは議員会館で働くこととなった。いわゆる“書生”となった奥田さんは、そこで毎日、葉書を書く仕事をさせられた。 「僕と同じように入った書生が4人ぐらいいて。選挙近くになると毎日、何百枚も書かされて。みんなで5万枚ぐらい書かされたんです」 そして、奥田青年にはその次に新たなミッションが下さった。それは選挙カー演説の手伝いだった。 奥田さんの声は低いが、よく通る。学生時代に書生で選挙活動の手伝いをしていた奥田さんはある時、第一秘書に呼び出された。 「安藤(奥田さん本名)、お前、良い声しているから宣伝カーに乗れって言われて。で、一日、同乗して、白手袋を振ったりして、どんな感じなのかを掴んで練習して、次の日にはもうマイクを持たされたんですよ。それで、言われたとおりにやったら、『もっと、ゆっくり喋れ!』って言われて。ゆっくりと喋っていったら、段々と上手くなってきたんです。選挙の投票日の前日の夜8時ぐらいの追い込みになると、今度は『いままで喋っていた速度の3倍速く喋れ!』って言われてね。そういうのを全部覚えてやったんです」 奥田瑛二(おくだ・えいじ) 1950年3月18日、愛知県生まれ。1979年、『もっとしなやかに もっとしたたかに』で映画初主演。『海と毒薬』(86年)で毎日映画コンクール男優主演賞、『千利休 本覺坊遺文』(89年)で日本アカデミー主演男優賞、『棒の哀しみ』(94年)でキネマ旬報主演男優賞などを受賞。2001年、映画『少女~an adolescent』で映画監督デビュー。長編3作目となる『長い散歩』(06年)では第30回モントリオール世界映画祭グランプリ等三冠を受賞するなど、多岐にわたり活躍している。 鈴木一俊
鈴木一俊