【沖縄戦】83人が絶命した集団自決の壕 チビチリガマで慰霊祭 「平和発信」をつなげる遺族の思い
79年前の沖縄戦当時、追い詰められた住民たちによる「集団自決」が起きた読谷村のチビチリガマで慰霊祭が開かれました。生存者や遺族の高齢化が進むなか、平和発信の思いを新たにする参列者を取材しました。 【写真を見る】【沖縄戦】83人が絶命した集団自決の壕 チビチリガマで慰霊祭 「平和発信」をつなげる遺族の思い 今月6日、沖縄本島中部・読谷村波平にある壕「チビチリガマ」で開かれた慰霊祭。遺族や地元住民らが参列し、ガマの中で命を絶った犠牲者に祈りを捧げました。 遺族・與那覇徳市さん 「命は宝です。戦争を起こさないように見守って下さい。この沖縄を平和な世の中にしてください。お願いします」 沖縄戦当時、チビチリガマには140人が避難していました。しかし1945年4月2日、アメリカ軍が投降を呼びかけた際、住民はガマのなかで布団に火を放ち、毒薬を注射するなどして、自ら命を絶ちました。 “つかまれば乱暴される”などと教えられ、追い詰められた末の「集団自決」です。83人が命を落としました。 遺族を中心に行われてきた慰霊祭。開催の趣旨は当初から変わりません。 チビチリガマ遺族会 與那覇徳雄会長 「軍備が増強される中で、止めなければならない決意を遺族会でいつも思っている。2度とチビチリガマで起こっている悲劇を起さないために。戦争反対という声が上がることを望みたい」 遺族の願いとは裏腹に、出席者は高齢化。体験者は去年に続き出席できませんでした。 ■遺族以外の参列者にも“オープンに” 慰霊祭を引き継ぐ思い 遺族・又吉弘子さん 「(今後)どうなるんだろうと思いはするね、だんだん高齢化すると。しかも(ガマへは)歩ける人じゃないと来られないしね。きょうもちょっとお祈りしてきた。どうか私の足腰を元気にしてくださいって。私が元気なうちは来ますから。せめて」 こうしたなか、参列者の顔ぶれに変化が。読谷村役場の平和ガイドとして働き、チビチリガマも案内する青山さんと又吉さん。3年ほど前から、参列するようになりました。 ガマの中で 青山さんと又吉さん 「灯油をまいて火を出したところは黒くなってるのかな」「たぶんススで黒くなっている」「この辺とか」 読谷村地域ガイド「絆会」 又吉スガ子さん 「やっぱりお線香の煙でも、ちょっと目にくるね。(当時は)もっと煙で大変だったでしょうねと話をしていた」