【解説】ネタニヤフ首相、綱渡り アメリカはガザ停戦合意を促す=BBC国際編集長
ジェレミー・ボウエンBBC国際編集長 同じ24時間を何度も何度も繰り返すことが外交官にもあるとしたら、アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官は、その中にいるのかもしれない。またしても中東へ向かった長官は、機内である種の疲弊(ひへい)感を感じただろうか。 イスラム組織ハマスが昨年10月7日にハマスがイスラエルを攻撃して以来、この8カ月間でブリンケン氏が中東を訪れるのは、実にこれで8回目となる。 ガザでの戦争を終わらせ、イスラエル人の人質とパレスチナ人の囚人の交換を交渉するための政治的駆け引きは、ただでさえ複雑だった。 それに加えて今度は、イスラエルの野党指導者ベニー・ガンツ前国防相が、政界の盟友ガディ・アイゼンコット元参謀総長と共に、ベンヤミン・ネタニヤフ首相の戦時内閣を辞任した。2人ともイスラエル国防軍(IDF)の参謀長を務めた退役将軍だ。 おかげで、状況はいっそう混沌(こんとん)としている。 ガンツ前国防相が戦時内閣を離れたことで、アメリカはイスラエル閣僚の中でお気に入りだった連絡相手を失った。 野党に戻ったガンツ氏は新たな選挙実施を求めている。世論調査では、彼が次期首相の最有力候補だ。しかし、定数120議席のイスラエル議会で64票を獲得できる現在の連立政権を維持できる限り、ネタニヤフ首相の地位は安泰だ。 それには首相は、二つの極右ナショナリスト・グループの指導者からの支持を維持しなくてはならない。イタマル・ベン=グヴィル国家安全保障相と、ベザレル・スモトリッチ財務相のことだ。 そしてこの段階で、ブリンケン国務長官の任務はイスラエル政治と衝突する。アメリカのジョー・バイデン大統領は、ガザでの戦争を終わらせる時が来たと考えている。 バイデン大統領の意向実現が、ブリンケン氏の仕事だ。しかし、ベン=グヴィル氏とスモトリッチ氏は、ハマスは排除されたと自分たちが納得する前に、ネタニヤフ首相が停戦に応じたりした場合、政権を崩壊させると脅している。 二人は極端なユダヤ・ナショナリストだ。ハマスが壊滅し、その痕跡さえ消えてなくなるまで、戦争の継続を望んでいる。 二人はガザについて、地中海とヨルダン川に挟まれたすべての土地と同様、ユダヤ人の土地であって、ユダヤ人が定住すべき場所だと信じている。パレスチナ人には、ガザから 「自発的に」出て行くよう、促すことができるはずだと主張する。 最新の停戦案がこれまでのほかの案と同じ道をたどるのを防ぐこと。ブリンケン国務長官が中東にいるのは、そのためだ。アメリカはこれまで3回、国連安全保障理事会で停戦決議に拒否権を行使してきた。しかし、今のバイデン大統領には取引する用意がある。 バイデン大統領は5月31日の演説で、ガザでの戦争を終結させるためのイスラエルの新提案だとして、受け入れるようハマスに促した。 (1) 6週間の停戦、(2) ガザへの人道援助の「急増」、(3)数人のイスラエル人の人質と数人のパレスチナ人の囚人の交換――という3部構成のこの案を、国連安保理は10日、安保理決議で支持した。 この合意はさらに、人質全員の解放、永続的な「敵対行為の停止」へと続き、究極的にはガザの再建という大仕事に至るという内容だ。ハマスはもはや昨年10月7日の攻撃を繰り返すことができないので、イスラエル人はもはやハマスを恐れなくてよいのだと、バイデン氏は述べた。 だがバイデン大統領と顧問たちは、何か問題が起きるはずだと承知していた。ハマス側は、イスラエル軍のガザ撤退と戦争終結を保証する停戦にしか、応じるつもりはないと主張している。 イスラエル軍は8日、人質4人の救出のため、ガザのヌセイラト難民キャンプに突入した。その際にイスラエル軍は、甚大な破壊をもたらし、多数の民間人を殺害した。この事態を受けてハマスは、決意をいっそう固めたはずだ。ハマスが運営するガザ地区の保健当局によると、この襲撃でパレスチナ人274人が殺害された。一方のイスラエル国防軍は、その人数は100人以下だとしている。 バイデン氏はまた、イスラエルの強力な一部勢力も、停戦案に反対するとあらかじめ認識していた。 「この停戦案を支持するよう、私はイスラエル政府幹部に促してきた」と、大統領は演説で述べた。「どのような圧力がかかっても」。 ネタニヤフ首相は、連立政権に参加する極右勢力への依存度を高めている この圧力は、すぐにやってきた。ベン=グヴィールとスモトリッチ両氏からだ。 二人は主要閣僚で、バイデン大統領が示した停戦案に激しく反対した。戦時内閣が同意していたことなど、戦時内閣の一員ではない二人には関係のないことだ。 予想通り二人は、もしネタニヤフ首相がこの案に合意すれば、自分たちは連立を離脱し、ネタニヤフ政権を崩壊させると脅した。 ハマスもイスラエルも、バイデン大統領が提示した停戦案を受け入れるとは、表立っては表明していない。 同大統領は、この提案の一部の文言は今後、調整した上で最終決定する必要があると認めている。これがほかの当事者間のほかの紛争ならば、停戦案にあいまいな部分があるのは、外交駆け引きの余地を生むこともある。しかしそれには、戦争をこれ以上続けても何の利益も得られないと、だから今こそ協定を結ぶべきだと、当事者同士が共に認識している必要がある。 ガザ地区のハマス指導者ヤヒヤ・シンワル師が、その段階にある様子はない。昨年10月7日からたどってきた道を、今後も断固として突き進むつもりのようだ。 ヌセイラト難民キャンプの廃墟にいたパレスチナ人は、自分たちの命を軽視しているとして、イスラエルだけでなくハマスに対しても悪態をついていたという情報もある。 それが事実か、BBCは確認できていない。イスラエルとエジプトは、他の国際報道機関と同様に、BBCがガザへ入ることを認めていないのだ(例外は、イスラエル軍の厳しい監督下で例外的に案内される視察のみだ)。 しかし、どれほど多くのパレスチナ人が死亡しようと、ハマスのたくましさは弱まるどころか、明らかに強くなっている。自分たちの組織と幹部が生き残ることこそ、ハマスにとっての勝利なのだ。 ガザの保健省によると、3万7000人以上のパレスチナ人が殺害された。そのほとんどが民間人だ。このことでイスラエルの評判は地に落ちたと、ハマスはそこをことさらに突いてくるだろう。 イスラエルは今や国際司法裁判所(ICC)で、ジェノサイド(集団虐殺)を行ったか問われている。国際刑事裁判所(ICJ)では、主任検事がネタニヤフ首相とヨアヴ・ガラント国防相の逮捕状を請求している。 イスラエル国内では、ネタニヤフ首相は戦時内閣からガンツ、アイゼンコット両閣僚を失った。この二人の元軍幹部がこれまで首相を政治的にある程度守っていたのだが、その防波堤を失った今、首相はベン=グヴィルとスモトリッチ両氏という強硬派の影響を、もろに受けることになる。 ブリンケン長官はおそらくネタニヤフ首相に、強硬派二人の挑発にのることなく、停戦案に同意するべきだと働きかけるだろう。人質がこれ以上殺される前に、帰還させしたいと願う何百万人ものイスラエル国民を納得させるため。 ネタニヤフ首相はその場合、選挙に打って出るしかほかに手がないかもしれない。 総選挙で敗れれば、8カ月前にハマス侵入を許した政治的、諜報的、軍事的失敗の責任が首相にあるのか調べるため、調査委員会が開かれることになる。 あるいは、イスラエルで最も長く首相を務めてきた人間として長年培ってきた、先延ばしとプロパガンダの技術に、首相はまたしても頼るのかもしれない。 相手の手の内が読みにくいときは、ともかく時間稼ぎをして、従来の主張をいっそう強力に繰り返すというのが、その手法だ。 首相は7月24日には、特にお気に入りの場所で演説する。ワシントンの連邦議会両院合同会議を前に。 そうこうしているうちに、彼にとって何かいい手が出てくるかもしれない。 (英語記事 Netanyahu walks tightrope as US urges Gaza ceasefire deal)
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