衝撃の体験が原点 ゲストハウス×熱気球体験で起業 埼玉の男性
バーナーで空気の温度を変えることで上昇・下降し、風に乗って移動する熱気球。テレビなどで見たことはあっても実際に乗った経験がある人は少ないだろう。埼玉など4県にまたがる渡良瀬遊水地周辺は、全国有数の熱気球フライトの名所だという。今村辰之助さん(36)は2019年、埼玉県加須市の古民家をリノベーションしたゲストハウスと熱気球体験を組み合わせた事業を始めた。熱気球や渡良瀬エリアの魅力を聞いた。【中山信】 ――渡良瀬遊水地周辺で熱気球を体験できるとは知りませんでした。 ◆気球を飛ばすには広い平地が必要ですが、渡良瀬エリアは広いうえに離陸や着地の際、民家などに降りてしまうなどの社会的被害がほぼ出ません。風も非常に穏やかで一年中気球を飛ばせ、東京などからのアクセスも良い。熱気球フライトには大きく分けて、高さ1000メートル以下の空を風に乗って移動するフリーフライトと、ロープにつながれて30メートルほど真上に上がる係留体験の二つがあります。フリーフライトが体験できるのは国内で数カ所くらいしかなく、渡良瀬はその一つです。 ――出身は東京都小平市。熱気球に携わるきっかけは。 ◆父が日本で熱気球の有人飛行が始まった初期の時代からパイロットをしていたので、小さい頃に乗せてもらっていました。ただ、小中高校とずっと野球をやっていて熱気球を将来の仕事にしようとは全く考えていませんでした。ところが、大学3年から4年にかけて、視野を広げようと海外を旅行するバックパッカーをした時に衝撃的な体験がありました。 ニュージーランドのゲストハウスで年下の英国人と相部屋になった時です。「辰之助は今後どうするんだ」と聞かれて、「大学に戻って就職する」と答えたら、彼は「僕はもっと世界を見ないと自分の価値がわからない。世界を見たうえで自分が何ができるのか、何をしたいのかを見極め、それから自分の仕事を見つけたい。そういう生き方をしたい」と言った。想像もしなかった人生のルートを高校を卒業したての青年が考えていて、「世界は広いな」と。敷かれたレールの上を走るだけじゃない人生が魅力的に思えました。 ――それで大学卒業後に事業を始めたわけですか。 ◆いいえ、当時は職業としてバリバリのサラリーマンも思い描いていたので、洋服が好きで興味があったアパレル会社に就職し、4年間は全国各地の7店舗で働き、店長も経験しました。ただ、バックパッカーの経験で価値観が変わったこともあり、会社の傘の中に入る生き方ではなく、いつかは自分の力で生きていきたいという思いがありました。 自分の強みを考えた時に気球が思い浮かびましたが、気球は天候にも左右されて不安定なので生活していけるのか、と。全く違う文化や人と出会える場を提供できる宿泊事業と気球を組み合わせるアイデアが思い浮かび、現在の熱気球に乗れるゲストハウス「SOLABASE」へと、5年間で事業を少しずつ広げてきました。 ――パイロットとして熱気球の競技でも活躍していますね。 ◆競争が嫌いだったので最初は興味がなかったのですが、技術の極限を極めることは安全性にもつながるので、次第に競技の奥深さを知って面白くなりました。スピードを競うのではなく、風を読んでターゲット(目的地)の上空に移動し、投下した砂袋との距離で正確性を競います。 9月にハンガリーで開かれた世界選手権に初参加して118機中23位でした。世界のトップと比べて自分に足りないものも分かったので、2年後にポーランドで行われる世界選手権にも出場して世界一を目指します。 ……………………………………………………………………………………………………… ■人物略歴 ◇今村辰之助(いまむら・しんのすけ)さん 1988年、東京都小平市生まれ。早大時代に熱気球のライセンスを取得。アパレル会社で勤務後、気球フライトやゲストハウスを運営する会社で「修業」し、2019年にSOLABASE(加須市小野袋1663の1、完全予約制)を開業。熱気球体験は、係留体験からフリーフライトまで複数のプランがある。ゲストハウスは個室とドミトリー(相部屋)があり、グランピングテント泊もできる。予約はインターネットからのみ。問い合わせはメール(contact@solabase.com)か電話(080・4634・9925)。