坂本冬美(57)1年間の休業後「舞台に立つのが急に怖くなり」届いた八代亜紀からの手紙に書かれた「意外なアドバイス」
1年間の休業を経て、2003年4月に芸能活動を再開した坂本冬美さん。復帰直後は舞台に立つのがとにかく怖かったといいますが、大先輩の励ましもあり、いい意味で開き直ることができたそうです。あれから芸能生活35周年を過ぎた今の心境とは。 【画像】とびきりの笑顔!故・八代亜紀さんと坂本さんのツーショットから妖艶なコスプレ姿まで(全18枚)
■復帰後は極度の緊張も大先輩・八代亜紀からの手紙に救われ ── 久しぶりに立つステージはいかがでしたか? 坂本さん:復帰後、初のお仕事は、「NHK歌謡コンサート」の出演でした。『夜桜お七』と休業中に出した『うりずんの頃』の2曲を歌わせていただいたのですが、1年ぶりとなるステージで、しかも生放送とあって、とにかく緊張したことを覚えています。
復帰した当初は、舞台に立つのがすごく怖かったです。じつは、「戻ってきちゃったけれど、本当に大丈夫なんだろうか…」と、まだ迷いを断ち切れていない自分もいて。でも、決めたのは私自身ですから、泣き言なんて言っていられません。気持ちを奮い立たせて、ステージに上がっていました。 ── 堂々としたパフォーマンスからは、想像がつきませんでした。 坂本さん:周りの方々の温かさも本当に助けられました。昨年12月に亡くなった大先輩の八代亜紀さんからは、休業明けにお手紙をいただき、「これからは立ち位置より少し下がって歌うと、気持ちが楽になるよ」とアドバイスしてくださいました。いろんな方の心遣いに支えられ、一歩ずつ進んでいったという感じでしたね。
結果的に、あのタイミングで1年間お休みしたことは、自分にとってすごくよかったと思っています。あのまま歯を食いしばって走り続けていたら、きっと私はどこかでパンクしていたと思うんです。ここまで長く歌ってこられたのも、いったん立ち止まり、自分を見つめ直すことができたから。ファンの皆さんや支えてくれるスタッフの方々を心配させてしまいましたが、そのぶん、歌で恩返しをしていきたいですね。
■35周年で桑田佳祐から楽曲提供「自分の殻を破るきっかけに」 ── 2020年には、サザンオールスターズの桑田佳祐さんからの楽曲提供(『ブッダのように私は死んだ』)が話題を呼びました。中学生のころから「サザンの大ファン」と公言されている坂本さんの念願がかなったカタチだったとか。 坂本さん: そうなんですよ。「芸能生活35周年に向けてしたいことはある?」とレコード会社のスタッフに聞かれたときから、「夢はひとつだけ。桑田佳祐さんに曲を書いていただきたいです」と伝えていたんです。周りは、「さすがに無理だろう…」という空気でしたが、「じゃあ、思いの丈を手紙に書いてみてください。なんとか桑田さんの元に届くように頑張ってみます」と言ってくれて。実際に桑田さんから曲をいただいたときは、涙が出るほど感動しましたね。