「ハチ公」だけじゃない!ニッポン「忠犬像」物語
15頭のモニュメントは1959年9月、日本動物愛護協会が東京タワーの入り口に設置。その後、東京タワー周辺の整備事業により撤去されることになり、2013年、国立極地研究所に寄贈、移設された。彼らは、およそ半世紀ぶりに南極観測隊のお膝元に帰ってきたわけだ。 悲しそうに遠吠えしている犬がいれば、体を寄せ合って寝そべる犬たちがいる。故郷北海道の懐かしい風景を思い浮かべながら、越冬隊員たちが戻って来るのを待っているのだろうか──。
火事現場で活躍した消防犬「ぶん公」(北海道小樽市)
れんが造りの倉庫群と石畳がノスタルジックな雰囲気を醸し出し、明治~大正時代の港湾都市の趣を今に伝える小樽市。小樽駅から歩いて10分ほどの小樽運河沿いに立つ「旧小樽倉庫」の前に、1頭の犬の銅像がある。その名は「ぶん公」。観光客らが記念撮影に訪れる、小樽の観光名所の一つだ。 ぶん公は、昭和の初め(1910~30年代)に小樽の消防本部で飼われていた雑種の雄犬。消防自動車が出動する際は、真っ先に乗り込み、ステップに立って現場に向かったという。出動回数は1000回超。火事場ではやじ馬たちを追い払い、ホースをくわえて隊員に渡す、などの武勇伝が、新聞や雑誌、ラジオを通して全国に伝えられた。 1938年2月3日、多くの人たちにみとられて亡くなった。享年24歳。人間でいえば100歳の大往生だった。絵本『消防犬ぶん公』(水口忠・作、梶鮎太・絵、文渓堂)でその“犬生”をたどることができる。 かつて小樽には木造の家がたくさんあり、何度も大規模火災が発生した。そのため、消防の整備が進められ、石造りの建物がつくられるようになった。ぶん公が活躍したのはちょうどその頃だ。 子犬の頃、火事の焼け跡で鳴いているのを消防隊員によって助け出され、消防本部で飼われるようになった。制帽をかぶるのが大好きで、病気の時はひとりで動物病院に行く利口な犬だったという。 2006年、ぶん公の68回目の命日に、消防団在籍者が中心となり記念碑建立のための募金活動がスタート。同年7月、旧小樽倉庫前の広場に銅像が完成した。以来、季節や行事に合わせてさまざまなスカーフやマフラー、衣装をまとったおしゃれな“ぶんちゃん”が、訪れる人たちの目を楽しませている。 “着替え”を手伝い、写真を撮ってSNSなどにアップしているのが、小樽観光協会の吉田理恵子さん。「春と秋はスカーフやバンダナ、夏は小樽伝統の『潮(うしお)まつり』に合わせて法被、冬は毛糸のセーターにマフラー、クリスマスバージョンもあります。市民のみなさんが差し入れてくれるんです」と吉田さんは話す。 小樽市にはもう1カ所、ぶん公に会える場所がある。旧小樽倉庫に隣接する小樽市総合博物館運河館だ。ぶん公のはく製が展示されており、白い毛に茶色のぶちがある、少し耳が垂れた、ちょっとおちゃめな「ぶん公」に対面できる。