修業なのか?見世物なのか? ヒンドゥー教修行者「サドゥー」の様々な手法
「サドゥー」とは、ヒンドゥー教の行者。悟りを得るために世俗を捨て、瞑想や苦行を続ける僧のことだ。とはいえ、仏教の僧とは違って、一つの寺に属して住むわけではない。野宿したり山に入ったりの浮浪生活をしながら、多くは人々の施しによって生きている。観光客に写真を撮らせて金をせびるような、怪しげな「サドゥーもどき」も少なくない。そんな輩も皆ひっくるめて、インド中からサドゥーが大集合するのがクンブメラでもある。 大通りに面したサドゥーのテントの一つをのぞいてみた。何年もの間、左手を挙げたままで瞑想を続けているという。そんなことができるのかとはじめは疑ったのだが、よく見ると左手の爪は伸び放題。筋肉は落ち、痩せた木枝のようになっている。左手を挙げ続けることにどんな意味があるのかは分からないが、要は不自由に耐えて暮らすのが彼の修行らしい。
別のテントには片足を挙げたままのサドゥーがいたり、極め付けは、性器に縄をつけレンガを引っ張り上げるという、もう修行なのか見せ物なのか訳のわからない者までいる。 無数の神が存在し、ある意味なんでもありのヒンドゥー教。修行の仕方も様々ということか。 2013年2月/2010年1月撮影 (写真・文:高橋邦典) ※この記事はフォトジャーナル<世界最大の宗教祭典クンブメラ>- 高橋邦典 第49回」の一部を抜粋したものです。