紆余曲折の森保J守護神が起こした“広島の23秒” 手術の決断乗り越え立ったゴールマウス舞台裏【コラム】
アジア杯控えるも手術の決断…将来を見据え「もう一度」
東京五輪代表にも名を連ねた大迫はアジアカップ期間中に、シーズン終了後の昨年12月8日に手術を受け、全治約2か月と診断された右手舟状骨の骨折からの復帰へ向けて懸命なリハビリを積んでいた。 骨折を負ったのは昨秋。広島の練習中に強烈なシュートをセーブした際に、右手首が悲鳴をあげた。保存療法という選択肢もあり、実際に昨年12月3日のJ1リーグ最終節までゴールマウスを守っている。 それでも、オフに入ってすぐに手術へ踏み切ったのは、ピースウイング広島が開場する今シーズンの開幕から万全の状態で臨みたいと考えたからだ。昨シーズン限りで引退した広島のレジェンドの一人、林卓人さんが背負っていた「1番」を託される形で、今シーズンから引き継いだのも大迫に手術を決意させた。 新たなスタジアムに浦和レッズを迎えた2月23日の開幕戦。ほぼぶっつけ本番で戦列復帰を果たし、大型補強を介して前評判が高かった浦和を零封して勝利した直後に、大迫はこんな言葉を残している。 「ドクターからは、完治させるためには遅かれ早かれ手術を受ける必要があると言われました。僕からドクターに『いま手術を受ければ、2024シーズンの開幕の間に合いますか』と聞いたら『間に合う』と言われたので、オフに入るタイミングで決めました。(日本代表の)アジアカップもあったのですごく悩みましたけど、これから先のことを考えると、手術を受けて完治させた方がいい、という判断に至りました」 当時の決断をたとえるならば、急がば回れ、となるだろうか。大迫が不在となったアジアカップではパリ五輪世代の21歳、鈴木彩艶が守護神を拝命。イラン代表との準々決勝で敗退するまでの全5試合で先発を任され、大迫が復帰した北朝鮮代表との3月シリーズでも引き続き先発した。大迫はこんな言葉も残している。 「アジアカップも開幕前のキャンプ中に見ていましたし、常に刺激をもらっていました。そのなかで、あの(代表の)舞台にもう一度、自分が立つんだという強い思いや目標もできました。そのためにも自分のチームで結果を、自分の存在感というものを常に出し続けなければいけないと思ってきました」 鈴木がパリ五輪をひかえたU-23日本代表に専念した6月シリーズ。活動をしめくくるシリアとの最終戦で、森保監督から先発に指名された。試合当日のエディオンピースウイング広島のスタンドの光景を思い浮かべるだけで武者震いがした。もっとも、試合前日の10日にはちょっぴり残念な知らせも届いた。 それまでメインスタンドから見て日本が右側、シリアが左側だったベンチサイドが、マッチコミッショナーの最終的な判断のもと、アジアサッカー連盟(AFC)のレギュレーションにのっとって入れ替わった。 ピースウイング広島のゴール裏スタンドは、試合前日の変更を介してシリア側となった南側の方がはるかに大きく、実際に広島のファン・サポーターを含めた日本代表の応援一色で染まった。 「どちらかというと、右側(南側)のゴール前で試合前のウォーミングアップをしたかったくらいです。試合の前日にこうなっちゃったのは、まあしょうがないんですけど」 大迫も思わず苦笑したが、試合中には南側のゴール裏を中心に広島の応援歌「Hiroshima Night」の日本代表バージョンだけでなく大迫個人のチャントも響き、シリアが日本陣内で直接フリーキックを獲得すると「オ・オ・サ・コ」の名前が連呼された。応援にも後押しされた大迫は、代表における課題もしっかり見つめていた。 「広島で求められているプレーと、日本代表で求められているプレーはちょっと違ったりもする。そこの切り替えというところでは、足元の技術などがもっと必要になってくると自分では思っています」 それはビルドアップのところで、と問われた大迫は「はい、そうですね」と笑顔でうなずいた。9月にスタートするW杯アジア最終予選では、パリ五輪を戦い終えた鈴木も復帰してくるだろう。森保ジャパンの守護神をめぐるスタートラインに再び立った大迫は、2年後の北中米大会へ向けてハイレベルで切磋琢磨していく理想的な構図を思い描き、自分自身に新たな武器も搭載させながら、広島のゴールマウスを守っていく。 [著者プロフィール] 藤江直人(ふじえ・なおと)/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。
(藤江直人 / Fujie Naoto)