長谷部誠「誇りに思えることは、最後までやるべきことをやってきたこと」ラストマッチで涙「家族はとても大きな存在」
◆ドイツ ブンデスリーガ最終節 フランクフルト2-2ライプチヒ(18日、ドイチェ・バンク・パルク) フランクフルトの元日本代表MF長谷部誠(40)が18日、ホームで行われた最終節のライプチヒ戦で、22年にわたった現役生活のラストマッチを迎えた。2―2の後半アディショナルタイム(AT)に途中出場。慣れ親しんだ中盤に入り、試合は引き分け。チームは6位で欧州リーグ出場圏を獲得した。5月末に都内で引退会見を行い、日本のファンに別れを告げる。 整え続けてきた心が、ふいに乱れた瞬間だった。後半ATにピッチに立ち、現役最後となる試合終了のホイッスルを聞くと、長谷部は笑顔で同僚と抱き合った。その直後。幼い娘と息子が駆け寄ってきた。一気に感情があふれた。涙を浮かべ、大切な宝物をぎゅっと抱きしめた。 「この年齢までやれ、時間をかけてサッカー選手をやめる準備ができていた。今日に近づくにつれても特に感情的になることがなかった。でも、さすがに感極まってしまった。家族はとても大きな存在だったので」 ドイツで計17季プレーし、自ら引き際を決めることができるレジェンドになった。「自分自身が誇りに思えることは、最後までやるべきことをやってきたこと」。この日はボールに触ることはできなかったが、最後までチームの一員としての役割を全うした。 08年に浦和からドイツに渡り、日本人が数多く同国でプレーする礎を築いた。リーグ優勝、ドイツ杯、欧州リーグとタイトルも獲得。日本で知られる代表主将としてだけではなく、サッカーが文化として強く根付くドイツで、真のプロフェッショナルとして認められた。この日もスタンドには数多く背番号20のユニホームが掲げられ、ファンが別れを惜しんだ。 引退後は、フランクフルトU―19のコーチとして指導者の道がスタートする。「サッカーを通し、一人の人間として成長させてもらった。これからの人生に生かしていきたい」。日本サッカー界が生んだ偉大なキャプテンは、そのキャリアにふさわしい形で現役生活を終え、第二の人生へと踏み出す。 ◆長谷部に聞く ―ほっとした? 「変な意味じゃないですけど、きょうが特別なものだとは思っていなかった。おそらく、あまり悔いとか後悔がないのかな。こうして健康な体でやめられるし。自分でも大丈夫かと思うくらい、淡々としている」 ―(18年ロシアW杯後の)代表引退時と比べての心境は? 「どうですかね? 物忘れが激しい(笑い)。代表引退の時は忘れちゃったけど、こっちの方が心の準備でやっぱり長くできていたんで。まだ実感はない。明日練習がある、くらいの気分」 ―ドイツで自ら引退を決められる選手に。 「それは今の心の持ちようにも影響していると思う。もっとやりたいと思ったら、感情的になっていたかもしれない。感謝していますね。今(引退)というタイミングは、みんなにとってハッピーなんじゃないかなと思います」 ◆長谷部 誠(はせべ・まこと)1984年1月18日、静岡・藤枝市生まれ。40歳。2002年に藤枝東高から浦和へ加入。08年1月にドイツ1部ウォルフスブルクに移籍し、ニュルンベルクを経て14年にフランクフルトへ。ブンデスリーガ通算384試合(7得点)出場は、ドイツ以外の外国人選手としては、ポーランド代表FWレバンドフスキと並び歴代2位の記録。日本代表は06年にデビューし、W杯は10年南ア、14年ブラジル、18年ロシア大会に主将として出場。代表通算114試合2得点。180センチ、72キロ。利き足は右。家族は妻でモデルの佐藤ありさと2子。
報知新聞社