【コラム】無差別殺人事件をテーマにした台湾サスペンス「悪との距離」が問う“悪と正義の境界線”
近年、徐々に知名度を上げファンを増やしている台湾映画をWEBザテレビジョンでも大特集。台湾映画の名作を考察と共に振り返る今回は、名作が多い台湾サスペンスから、「悪との距離」を紹介する。ある無差別殺人事件の2年後を舞台に、加害者・被害者とその家族や関係者、メディアや世間の目など、さまざまな視点から見た“悪との距離”を全10話を使って描く。台湾版エミー賞といわれる金鐘獎では6部門で受賞し大響を呼んだ本作を通して、台湾サスペンスの魅力にせまりたい。 【写真】土下座する加害者家族を記者が囲む…衝撃的なメインビジュアル ■2の制作も決定、重いテーマに真っ向から挑んだ社会派サスペンス 本作は無差別殺人事件を軸に、死刑制度、精神障害、被害者遺族や加害者家族のその後といった重いテーマに真っ向から取り組んだ、骨太の社会派サスペンスだ。登場人物1人1人の人となりや葛藤や苦しみ、そしてその先にある小さな希望を丁寧に描いたヒューマンドラマでもある。 ロケ地を聖地巡礼するファンが多くあらわれるなど、社会現象といえるほどの反響を呼び、国内外で高い評価を受けた。台湾版エミー賞といわれる金鐘獎では14部門にノミネートされ、作品賞や主演女優賞などの主要6部門で栄冠に輝いている。また、釜山国際映画祭の共催イベントであるアジアンコンテンツアワードでも、脚本賞を受賞した。「悪との距離2」の制作も進んでいる。ヴィック・チョウを主演に、20年にわたる長大なストーリーを描くという。2023年12月にクランクイン予定だ。 ■さまざまな立場から描かれる無差別殺人事件のその後 多くの人を殺傷した無差別殺人事件から2年、最高裁判所が弁護士の控訴を棄却して二審の死刑判決を維持した。事件で息子を亡くしたSBCニュース報道局副局長のチャオアン(アリッサ・チア)は、仕事に打ち込みながらも酒におぼれる日々を送っている。 あるとき、チャオアンの職場で、出産を目前に控えたスタッフがニュース番組の本番直前で破水してしまうというハプニングが起きた。急遽、番組の編成を担当したのは、入社わずか2カ月のダージー(チェン・ユー)。その仕事ぶりを見たチャオアンはダージーと面接をした上で、自分のもとで産休に入ったスタッフの業務を引き継ぐようにいう。大抜擢だ。 しかし、ふとしたきっかけでダージーはチャオアンと自分との因縁に気付く。実は、ダージーはチャオアンの息子を殺した無差別殺人犯の妹だったのである。 一方で、犯人の弁護人であるワン(ウー・カンレン)は、先駆ニュース代表のリウ(ウェン・シェンハオ)に面会をしていた。先駆ニュースで無差別殺人を特集してほしい、司法が犯罪心理学を軽視している件についても取り上げてほしい、と要望するワンにあきれ顔のリウ。それもそのはず、チャオアンの夫であるリウは、チャオアンと同じく息子を亡くした被害者遺族なのだ。ワンは真相を究明して対策を講じないと同じような事件が起きてしまうとして、「遺族だからこそ答え(なぜ事件を起こしたのかという真相)を知りたいはず」と、なおもリウに頼み込むが……。 ■悪と正義の境を問う台湾サスペンスの深みとは ――2年前、映画館で無差別殺人事件が起きた。死者9名、負傷者21名。犯人は精神鑑定を拒否しており、動機と当時の精神状態は今も不明のままとなっている。加害者家族は事件現場で公に一度謝罪したものの、その後は姿を見せていない。―― これだけを聞くと、多くの人が犯人や加害者家族に憤りを感じ、被害者やその遺族たちに同情を寄せるはずだ。しかし、実態はそう単純ではない。例えば、犯人の弁護人であるワンは何の罪を犯したわけでもなく、信念と誇りをもって職務に打ち込んでいる。だが、会見中に被害者遺族に汚物を浴びせられ、それを報じたマスコミや視聴者たちも「天罰だ」と言わんばかりの態度だ。 また、加害者の両親が息子の罪を償うために家を売ったことは報道されない。事件当時、加害者家族は「死んで償え」という電話や、家へ突撃してくる人たちに脅えながら日々を過ごした。母親が「死ぬのは3人で十分、道連れにはしない」といって、娘にダージーという名を取得させて新しい人生に送り出すほど、加害者家族への風当たりは苛烈だったのである。そして、新しい人生を始めたはずのダージーにも、再び苦境が訪れてしまう。 台湾サスペンスには、事件そのものよりも、事件が起きた背景、事件のその後、被害者や加害者の心情に踏み込んで描いたものが多い。事件とどう関わっているのかによって、どのような角度から物事を見るかによって、悪との距離も、悪とは善とは何なのかも変わってしまう。大切な人を殺された遺族の悲しみの深さも、誰かにぶつけずにいられない思いもわかるからこそ、被害者や被害者遺族がときに加害者になってしまうというのが心底やるせない。 作品のジャケット写真となっている、大勢の記者に囲まれて加害者家族が土下座している光景を見ていると、何が悪なのかわからなくなってくるのではないだろうか。人権、報道のあり方、正義とは何かなど、さまざまなことを考えさせられてしまうのも、台湾サスペンスの奥深さ、魅力となっている。