「核燃の村」に残る満州の記憶、開拓の跡 「国策」に翻弄された青森県六ケ所村
本州最北端の青森県・下北半島にある六ケ所村は、原発推進の鍵を握る核燃料サイクルの中核施設が集まる「国策」の村だ。関連の交付金や税収に恵まれ、全国有数の豊かな自治体としても知られるが、かつて住民は出稼ぎ頼みの生活を強いられた。戦後、旧満州(中国東北部)から引き揚げた人々らが入植した土地は農業に向かず、高度経済成長期の大規模開発計画に伴う買収でいくつもの集落が消えた。何度も国策にのみ込まれた村で、戦争と開拓の痕跡をたどった。(共同通信=中川玲奈) ▽要塞のような施設 筆者は2021年5月、新人記者として青森支局に赴任した。直後に、記者の原稿をチェックする立場のデスクから「核燃料サイクルは勉強しないとね」と言われた。 核燃料サイクルは、原発で使い終わった核燃料からまだ使えるウランや新しくできたプルトニウムを取り出し、混合酸化物(MOX)燃料として原発で再利用する計画を指す。資源に乏しい日本は、原子力政策の要に位置づけている。
下北半島縦貫道路の「六ケ所インターチェンジ」を下り村中心部へ向かうと、石油備蓄基地のカラフルなタンクや一面に広がる太陽光パネル、林立する風力発電が次々に現れる。そして広大な敷地を柵が囲み、要塞のような核燃料サイクル施設が目に入る。六ケ所村には中核の使用済み核燃料再処理工場をはじめ、関連施設が集中する。 この「エネルギーの村」で村長として3期目を務めているのが戸田衛さん(76)。「六ケ所村には、戦後満州から引き揚げてきた人たちがいたんだよ」と教えてもらい、開拓の歴史をたどる取材が始まった。 ▽空前のバブル 1945年の太平洋戦争終戦後、日本の領地だった満州や樺太などの外地にいた多くの日本人が帰国。政府は失業対策や食糧増産のため、全国で緊急開拓事業を実施した。六ケ所村にも開拓集落ができたが、春から夏にかけて太平洋から冷涼なやませが吹き農業は振るわず、不漁も続いた。村民の多くは出稼ぎで生計を立てた。