反撃に出たり、新しい男への寝返りも 妻となっても恋焦がれた男を待ち続ける“平安の女たちの悲哀
こうして女は、恋人としても待ち、妻となっても待つ。男を待つ心は、大方の女たちに共通の心情となる。それを描く歌や物語は、いきおい膨大な数にのぼる。「来や来やと待つ夕暮れと今はとて帰る朝といづれまされり」(『後撰和歌集』恋一)。元良親王(もとよししんのう)(八九〇~九四三)が恋人に問いかけた歌だ。「彼が来るか来るかと思って待つ夕方と、じゃあねと帰ってしまう朝方と、女心ってどちらが切ないものなのかな」。恋人の答えは「朝の方がつらいわ」。夕方には、期待する心がある。だからたとえ空振りに終わっても慰められる。でも朝には、別れに意気消沈する気持ちしかない、というのだ。彼は他の女にも聞きまわっていて、「待つ方が苦しい」という答えもあった。待たせる側の男が、しゃあしゃあと聞いたものである。ちなみにこの元良親王は、平安時代でも指折りの色好みで知られ、「一夜めぐりの君」と呼ばれた。「一夜めぐり」とは陰陽道(おんようどう)の太白神(たいはくじん)のことで、金星の精だ。一夜ごとに居場所を変え、十日でひとめぐりして十一日目にもとに戻る。親王も恋人があちこちにいて忙しく、次に逢うまで随分待たなくてはならないという、多情をからかったあだ名である。
待たされた女が反撃に出ることもある。自分を待たせた男がようやくやって来た時に、家に入れず、逆に待たせるのだ。「待つ女」の代表ともいえる、『蜻蛉(かげろう)日記』の作者・藤原道綱母(みちつなのはは)のエピソードが名高い。新しい女をつくり自分から足の遠のいた夫・兼家(かねいえ)が、暁に戸を叩いた。「あの人だ」と分かったが、腹が立つので開けさせず、夜が明けてから歌をおくりつけた。「嘆きつつ一人寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る(来ないあなたを思って一人泣きながら寝る夜が、明けるまでどんなに長いものか、あなたにはわかりますまい)」。ただ、こうした高飛車な反撃に出られるのは、それなりの自信か保証のある女だけだ。道綱母は決して夫の愛情を喪ってはいなかった。『源氏物語』の葵の上も、光源氏に待たされながら、ようやっとやってきた彼を拒絶すること度々なのは、正妻にして左大臣の娘という安心材料があるからこそ取れた態度だ。その点、父親を喪っている末摘花(すえつむはな)には生活の面倒を見てくれる人がいない。光源氏なくしては、蓬に埋もれた屋敷の中、召使もろとも痩せ衰えるしかない。経済的後ろ盾のない女性は、恋人や夫婦の関係をそのまま生きるすべとしたため、男にすがらざるを得なかったのだ。 そんな女にもできることがある。新しい男への寝返りだ。中には前の男に心を残したままという例もあって、『伊勢物語』に哀しい話が載る。田舎から宮仕えに出た夫が三年たっても帰って来ず、女は待ち続けたがついに別の男の求愛に折れた。その結婚当日、元の夫が帰宅。「あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ(三年間、待ちわびました。でもまさに今日、他の方に嫁ぎます)」。恋情をこらえて女が詠むと、元夫は祝福して立ち去る。その後を追いかけて、女は絶望し死んでしまうのだ。三年は、当時の法律『養老令(ようろうりょう)』が決める、夫に連絡を絶たれた妻が次に結婚するまでに待つべき期間だった。阿久悠の「三年三月」の意味はわからないが、『源氏物語』で末摘花が三年を超えて心変わりせず待ち続けた設定には、必ずやこの法が関わっていよう。もっとも末摘花その人は、時間などけっして数えてはいなかっただろうが。
山本淳子