【1万人に1人】弱視のキックスケーター中学生、将来の夢は「世界で活躍するプロになりたい」
足下の色で苦しむ瑛太くんを救うべく、立ち上がったのが建設業を営む瑛太くんの父・公輔さん。なんと、各務原市に土地を借り、瑛太くん専用の練習場を作ったのだ。公輔さんは、「スクーターだけは(瑛太くんが)ひたすら一人でも夜とか家の前で練習してたんで、よっぽど好きなんやろうなと。練習させる場を作ってあげたいなと思って」と当時を振り返る。
公輔さんが1年かけて手作りした練習場。足下の色は瑛太くんの見やすいグレーにし、セクションの端には赤い塗料を塗るなど様々な工夫が施されている。公輔さんが手がけた練習場で、毎日何時間も練習に打ち込む瑛太くん。その表情には嬉しさが溢れていた。 練習の成果もあり、瑛太くんは国内で数人して成功していない大技「キャノンボール」を成功させるまで上達。全国大会でも好成績をおさめるほどの腕前となっていた。
「プロになりたい」紙に記した3つの目標
現在、瑛太くんは中学3年生。中学卒業後の進路を決めなくてはいけない時期だ。鳴海家でも家族3人で進路について話し合うことが増えたという。瑛太くんの母・裕美子さんは、「盲学校に行って福祉就労して目の悪い子として生きていく。道はひとつって思ってたんですよ」と、進路について話し合う前の心境を明かした。障害者の職業訓練に力を入れている学校に進学し、3年後の就職に備えて学ぶという進路を選ぶと予想していた裕美子さん。しかし、瑛太くんは別の道を模索し、将来の目標をしたためていた。
紙に3つ書かれた、瑛太くんの将来の夢。それは、夢への熱量を表すかのように、1~3まで番号がつけられていた。3つ目はスクーターをひろめたい、2つ目は店を営業したい、そして1つ目には、「プロになりたい」と記されていた。
国内にはまだ1人しか存在しない、フリースタイルスクーターのプロ選手。プロになって競技を広めていきたいという夢を抱いていたのだ。そう決意した瑛太くんだったが、取材中、将来への不安から涙をこぼす場面も。涙の理由を尋ねると、「(プロとして)やっていけるかどうかみたいな。厳しいと思う、ちょっと心配になった」と不安を抱える胸の内を明かしてくれた。
模擬面接で力強く語った将来の夢
瑛太くんが通う、岐阜市の陽南中学校で高校入学試験の模擬面接が行われた。本番さながらの緊張感あふれる面接。面接官から将来の夢について質問されると、瑛太くんは「僕の将来の夢はスクーターのプロになって、世界で活躍できるスクーターの選手になりたい」とはっきりと答えた。障がい者として生きていくのではなく、プロスケーターとして生きていきたい。瑛太くんの決意が込められた言葉だった。 プロへの道と本格的に向き合い始めた瑛太くん。「プロになって(スクーターの)店を営業したり、いろんな人に教えたりしたい。大変だけど、いろんな人に応援されてるから、その分がんばりたい」と将来への意気込みを語った。