「時代の歌姫」の新たな伝説 中森明菜が復活する! 中森明夫
◇『少女A』『TATTOO』『飾りじゃないのよ涙は』… 音楽への熱情を抱いて雌伏していた中森明菜が、ついに動き始めた。歌手が孤高の芸術家であり、時代の表現者であることを誰よりも体現する明菜を、デビュー時から見つめてきた中森明夫氏が、そのパフォーマンスの尽きない魅力と、再び時代に響く歌の予感を語る――。 中森明菜が7月13日、ファンクラブのイベントに出演する。彼女が観客の前に姿を現すのは、実に7年ぶりのことだ。10年ほど、テレビ番組にも出演していない。メディアの一線から完全に姿を消した。いったい何が起こっているのか? 中森明菜は傑出したスターだ。その軌跡を振り返ってみよう。1982年5月、16歳、『スローモーション』でデビューした。キャッチフレーズは、なんと〈ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)〉! それは新人アイドル大豊作の年で、〝花の82年組〟とも称された。明菜をはじめ、小泉今日子、早見優、堀ちえみ、石川秀美、三田寛子といった面々である。デビュー当時のジャケット写真を見ると、見分けがつかない。みんな聖子ちゃんカットをしていた。 1980年4月にデビューした松田聖子は、80年代アイドルのレジェンドだ。 〈アイドルは南からやってくる〉というテーゼがある。日本のアイドル第1号は、南沙織だった。71年6月、『17才』でデビュー。南の島・沖縄からやってきた。 70年代終盤、アイドルのブームは衰退する。その時、忽然(こつぜん)と九州・福岡から現れた松田聖子が80年代アイドルの扉を開いたのだ。 その後、アイドル冬の時代を経て、90年代半ば、やはり南の沖縄からやってきた安室奈美恵とSPEEDが日本中の少女たちを踊らせた。アイドル史は奇妙にも反復する。 ディケードの初頭に南からやってきた少女(南沙織/松田聖子)が扉を開き、半ばに現れたモンスター的なグループ(ピンク・レディー/おニャン子クラブ)がヒットチャートを消費し尽くして、やがて冬の時代へと至る。