「ドビュッシーとはまったく違って禁欲的」作曲家モーリス・ラベルを演じた「ボレロ 永遠の旋律」主演ラファエル・ペルソナインタビュー
フランスを代表する作曲家モーリス・ラベルの不朽の名曲「ボレロ」の誕生秘話を描いた音楽映画「ボレロ 永遠の旋律」(アンヌ・フォンテーヌ監督)が公開された。誰もがその旋律を口ずさむことができるだろうが、作曲家ラベルがどのような人間であったのかを知る人は少ない。このほど、主演のラファエル・ペルソナが役作りと本作について語ったインタビューを映画.comが入手した。 <あらすじ> 1928年、パリ。スランプに苦しむモーリス・ラベルは、ダンサーのイダ・ルビンシュタインからバレエの音楽を依頼される。彼は失ったひらめきを追い求めるかのように自身の過去に思いを馳せながら、試行錯誤の日々を経てついに傑作「ボレロ」を完成させる。しかし自身のすべてを注ぎ込んで作り上げたこの曲に、彼の人生は侵食されていく。 ――ラベルの作品はご存知でしたか? みなさんと同様に「ボレロ」は知っていましたが、他には何も。不思議な存在であることを発見しました。音楽家としては知っていても、彼という人間については何も知らなかったのですから。まるで音楽を通す以外の方法で自分の感情を表現することに、彼自身が苦労しているかのように感じたのです。アンヌから脚本を渡されたとき、私の中でさまざまな感情や思いが交錯しました。 「ボレロ」は世界的なヒット曲のひとつでしたし、今もそうです。彼の作品は至るところで賞賛されていますが、ラベル自身には謎が付きまとっています。ありきたりな言葉ではありますが、私はこのような人物を演じるのをずっと待っていたのです。 ――様々な感情があなたを襲ったとのことですが、最初のテストはどのように行われましたか? 逆説的ですが、すべてがシンプルになりました。私はすでにこの作品の中にいたのです。記憶を失い始めているラベルが「ボレロ」を再発見し、自分が作曲したことに驚く瞬間のシークエンスに取り組んだ時のことを覚えています。彼はそこにいるけれど、そこにはいない、自分自身と距離があることを示しています。 実際に、彼は耳を傾けます。きしむ床の上を歩く足音、工場の中の機械の疼くようなリズム……彼にとってすべてが常に音楽でした。彼はいつも何かに耳を傾け、いつも少しぼんやりとしていて、まるで人生を横切る影のようなもの、彼を凌駕する超自然的な何かに取り憑かれているかのようです。このことは、撮影の間、ずっと私を導いてくれました。 ――映画では、ご自身でピアノを弾いていますね。 弾いているつもりでした……というのは、アンヌがピアニストのアレクサンドル・タローを紹介してくれたとき、ラベルを弾くということがどういうことなのかを目の当たりにしたのです。 アレクサンドルは、私をフレデリック・ベイス=ニッターという先生の手に委ねてくれました。おかげで「亡き王女のためのパヴァーヌ」や他のいくつかの曲を弾けるようになりました。実はこの作品の8割は私の手で演奏したものです。この映画にとって、私が8割を演奏できたことは重要でした。アレクサンドルが残りの2割を引き受けました。彼のレベルに達するには少なくとも10年の練習が必要で、彼の天才的な演奏に到達するには、そこからさらに奇跡が必要なんだと思います。 ――他に重要だった準備のステップは何ですか? 最初に会ったときにアンヌが指摘していたように、彼の写真を見たときに感じたように、ラベルはとても痩せていてドライな雰囲気だったので、体重を落とすことは不可欠でした。私は10キロ減量しましたが、これが役に入り込む大きな手助けとなりました。アレクサンドルは、ラベルを演じたとき、彼の手の中に入るような感覚を覚えたと言っていました。私はそのイメージをとても気に入ったので、これを自分の体に適用してみたのです。ラベルは常に真っ直ぐ立っていました。 彼についての23本の短いサイレントフィルムが残っていますが、ラベルは自分に注目が集まっていると感じたり、カメラを見つけたり、誰かが近づいてきたりすると、すぐに身体をこわばらせていました。ピアノに向かっている時でさえ、背筋をピンと伸ばしている。なぜずっとこのように生きることができたのか、本当に謎です。彼は自分の音楽を作曲しているときだけリラックスしていたのかもしれません。私はこのドライさと同時に、誰もがラベルに抱いていた優しさにも取り組みました。 ――オーケストラの指揮の仕方も学んだそうですね。 ラベルが「ラ・ヴァルス」や「ボレロ」を指揮するシーンで必要でした。あのレベルでは、振付はもはやダンサーの仕事でしたよ! 私を指導したジャン=ミシェル・フェランは、まず12区の音楽院(コンセルヴァトワール)の小さな部屋で私に練習をさせました。 そしてついに、90人のベテラン楽器奏者の前に立つ時が来たのです。「君にも分かるだろう、オーケストラが自分の目の前で演奏する肉体的な感覚は、この上なく素晴らしいものだ」と彼は私に予告してくれたんですが、それは本当でした。最初のリハーサルで、私を素晴らしい指揮者であると温かく信じてくれた素晴らしい音楽家たちを指揮し終えた時、私の足は震えていました。あれほど強い衝撃を感じたことは今までありません。このシーンの撮影はとても大好きで、できることならずっと演じ続けていたかったです。 ――アンヌ・フォンテーヌ監督からは、絵画や映画などの参考文献を何か示されましたか? 参考文献はありません。でもたくさんの示唆はありました。幸運だったのは、準備に多くの時間を割けて、アンヌと私はたくさん話すことができたことです。ピアノや指揮のレッスンとは別に、私たちは1年間、週に2回会ってモーリスについて語り合いました。私たちはモーリスと呼んでいたんです。でも、彼女も私も、モーリスという人物を心理学的に解明しようとはしなかったし、多くの映画伝記映画がヒーローの信頼性を高めるために必要とするスタイルを真似ようとも思いませんでした。ラベルという人物がほとんど知られていないおかげで、私たちはより自由になることができたんです。 撮影現場に着いたとき、私はすでにアンヌのことを充分理解できていたし、私たちがどのようにうまくコラボレーションしていくかもわかっていました。それは、時間をかけて淹れたおいしい紅茶のようだったかもしれませんね(笑)。 ――ラベル本人は、「ボレロ」という作品を嫌悪していました。 ラベルはこの作品を、混沌のうちに終わる人生の寓話だと考えていました。エロティックなものもセクシャルなものは何もないと。産業革命の時代、機械化、戦争、ジャズ、サックスを使った反復したリズムの力強い高まり……彼はこの作品に多くのものを注ぎ込みました。オペラ座で初めてこの曲が演奏され踊られるのを見たとき、彼はぞっとしました。イダ・ルビンシュタインは、彼女がいつも彼に示唆していたこと、彼の作品のエロティックな側面を理解させたのです。そして、彼はそれを認めるに至ります。心ならずも「ボレロ」が彼の重い十字架となったのです。 ――あなたも仰る通り、私たちはラベルという人間について何も知りません。 アレクサンドル・タローは、ラベルは最も官能的で性的な作曲家の一人だと言っていますが、実生活での彼は正反対でした。ラベルは少年のまま、決して大人としての人生に足を踏み込まなかった。彼は母の死後もピアノのそばに写真を飾っていたほど母親(アンヌ・アルヴァロ)に深く執着していたと言えます。同時代の猥雑なドビュッシーとはまったく違って禁欲的です。アレクサンドルの言葉を借りれば、この2人はフランスの流派の2つの側面を表しているのです。 ――一方は鬼のように残忍なドビュッシー、もう一方は女性に囲まれたダンディ… そうです。とても人間的で優しく、包み込むような人柄であるシパを除けば、ラベルは女性だけに囲まれていました。まず母親、そして心を打ち明けることができる親友のマルグリット・ロン。エマニュエル・ドゥヴォスがこの役にふさわしいユーモアをもたらしています。ラベルが「ボレロ」を彼女に披露したときの狼狽したリアクションが大好きです。ミシア・セールとは、二人が通う華やかな世界でつながっているように見えます。彼女はお金目当ての結婚の悲しみを隠すために、そして彼は自分を覆う溢れんばかりの感情を隠すために。イダ・ルビンシュタインは、性的な話をし、彼の幼稚な雰囲気をからかって、彼を混乱させます。そして家政婦のルヴロも。彼女たちはみな、いつも彼の世話を焼くのです。 ――モンフォール・ラモーリーにあるラベルが晩年暮らした家、ベルベデールで撮影する機会に恵まれました。それはあなたに何をもたらしましたか? ラベルが「ボレロ」を創作したシーンを、彼自身が使っていたピアノで弾いていると思うと感動でおかしくなりそうでしたよ! この家の中はすべてが当時のままでした。ラベルが大切に取って置いた少し子供っぽい小物や、万国博覧会から持ち帰った中国の装飾品、それから彼自身が選んだインテリアの壁紙の上の縄形の刳り形や、帯状の装飾…ラベルはパリの夜遊びから逃れるために、この家に閉じこもりました。そして、細心の注意を払ってすべてを作り上げたのです。