将棋タイトル防衛の難しさを羽生善治九段や谷川浩司十七世名人の記録から紹介
圧倒的な強さを誇る藤井聡太竜王・名人だが、第9期叡王戦の五番勝負でついに敗れた。タイトル戦初登場からの連勝は22でストップ。だが、これまでの記録は大きく更新。どれだけすごいことであるか、現役の永世称号を獲得した棋士の初失冠を調べてみよう。なお、藤井は挑戦失敗はまだないが、併せて賞介する。 【写真を見る】最年少で名人を獲得した藤井聡太 まずは現在の大棋士と言えば羽生善治九段だ。羽生は初タイトルが1989年に19歳での竜王獲得(当時のタイトル獲得最年少記録)。だが、翌年の防衛戦では谷川浩司十七世名人に1勝4敗で敗れている。なお、挑戦の失敗はかなり先になり、1995年の王将戦で挑戦失敗が初だ。この時は史上初の七冠が掛かったシリーズであり、この年は敗れたものの、すべてのタイトルを防衛して翌年に王将位を奪取して七冠を達成した。 谷川浩司十七世名人は1983年の名人獲得が初タイトル。21歳での名人獲得は藤井が破るまでの最年少記録だ。初防衛戦こそ成功したが、1985年の2度目の防衛戦では中原誠十六世名人にタイトルを奪われている。なお、挑戦失敗は1984年の棋聖戦で、2度目のタイトル挑戦だった。 佐藤康光九段は1993年の竜王が初タイトル。相手は羽生だった。翌年の初防衛戦は羽生が挑戦者で登場し、タイトルを奪い返されている。なお、初挑戦は1990年の王位戦だが、谷川浩司十七世名人にフルセットで敗れており、タイトル獲得は2度目の挑戦だった。 森内俊之九段は2002年の名人が初タイトル。当時31歳で、永世称号を獲得する超一流棋士としては異例の遅さだ。翌年の初防衛戦では羽生に敗れるが、そこから約10年羽生と名人を取り合う時代が続く。なお、初のタイトル挑戦は1996年の名人戦で、七冠を保持する羽生に挑んだが1勝4敗で敗れている。タイトル獲得は3度目の挑戦だった。 ここまで紹介してきた記録から、防衛戦を成功させる難易度が分かるだろう。だが、渡辺明九段はこれまでとは少し異なる。2003年の王座戦がタイトル初挑戦で羽生に敗れたが、2004年の竜王戦で森内から奪取。20歳の初タイトルだった。渡辺は防衛戦に強く、そのまま竜王を8度防衛。ただしなかなかタイトルを増やせず、2011年に羽生から王座を奪取してようやく二冠になったが、翌年羽生に王座を奪い返されたのが初の失冠になっている。 タイトルは防衛してようやく一人前とも言われるのは、このように最初の防衛戦は超一流棋士でも苦労するからだ。タイトル戦の常連でもある豊島将之九段、永瀬拓矢九段も初防衛戦は失敗している。挑戦するときはトーナメントやリーグを勝ち上がった勢いがあっても、翌年は好調とは限らず、敗れると地位を失うプレッシャーなどの影響があるだろう。 初挑戦と初防衛戦をともに成功させた棋士はほとんどいない。初挑戦、初防衛戦を史上最年少、しかもダブルタイトル戦(棋聖戦、王位戦)で制した藤井が、歴史上でもいかに突出した存在かわかるだろう。その藤井を破った伊藤匠叡王の初防衛戦は果たしてどうなるだろうか。 文=渡部壮大
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