お色気描写で一世風靡 あまりの過激さに“不買運動”も…『マチコ先生』生んだえびはら武司の素顔
70歳の節目の年に考える「引退興行」
1980年に「少年チャレンジ」で連載を開始すると、たちまち人気に火がついた。約半年ほどでアニメ化が決まり、81年10月からは実際に放送がスタートされた。当時の記憶は鮮明に残っている。 「学研だから連載できたんだと思います。雑誌を売り上げるために必死な時代だったんでしょうね。編集長からは『マチコが人気出なかったら、僕は会社を辞める』とまで言ってもらえました。毎回巻頭カラーで扱ってくれたり、ありがたかったですね。 アニメ化してほしいとは思っていたけど、エロ路線すぎるので『これ、無理だろ?』と話したりもしていたので、連絡をもらったときはうれしかったですよ。放送時間はご飯休憩の時間にして、アシスタントみんなで観ていましたね」 漫画は全8巻で累計280万部超え、アニメも丸2年続くなど大ヒット作となった。一方で午後7時30分という家族団らんの時間帯に放送されていたアニメということもあり、PTAなど保護者からのクレームも多かったと明かす。 「そりゃ夜の7時半にあんなんやってたら文句言うよね。僕だって思うよ(笑)。でもそれが逆に今でいうバズるきっかけになってくれたんだと思います。PTAで“マチコ先生に抗議する会”とか、“学研不買運動”とか始まって騒がれたんで、『どんな漫画なんだろう?』ってのがちょっとはあったのかもしれないね。当時にネットがあったらどうなってたんだろうと考えたりはしますね」 82年に連載雑誌「少年チャレンジ」が休刊となり、同社の別誌「アニメディア」「中2コース」に連載の場を移したが、ほどなくして連載終了。「より過激にしてくれみたいに言われたこともありましたね。ただ、僕自身もパターンが毎回一緒で飽きてしまったんですよね」と当時の心境を振り返った。 以降、大きな連載作はなかったが、97年に「コミックGON!」で15年ぶりに『マチコ先生』を復活させた。「『コミックGON!』の編集長がやたらマチコファンだったんです。『平成版を描いてください』って熱弁されて、その熱意に負けたね」。 なにかとコンプラというワードが飛び交う現代。『マチコ先生』の復活についても語った。 「昔のままではもうきついかもしれないね。今でもたまに青年誌とかでは描いたりしているんだけどね。頼みに来てくれた人の熱意によっては新しいものを描くこともあるかもしれないね」 『鉄人28号』に童心をくすぐられ、目指した漫画の道。紆余曲折の末にたどりついたお色気というジャンルだったが、「マチコ先生みたいな作品が本当は、やりたかったのかもしれないね」と懐かしんだ。 「今はもう漫画を辞めたいぐらいですよ」と笑いながらも、「今年映画を作る予定なんです」と今後についても明かした。 「その映画が僕の引退興行になる予定です。漫画家が引退ってあまり明言しないんですけど、僕も70歳になるので、引退と宣言しておきます。また復帰するかもしれないけどね(笑)」
ENCOUNT編集部