「確かに愛してもいた」虐待を受け続けた女性作家が、“母を捨てる”まで
―[家族に蝕まれる!]― 母親からの愛情を渇望し、それでも得られないとき、人は何を犠牲にするのか。2024年2月に出版されたばかりの『母を捨てる』(プレジデント社)は、これまでノンフィクション作家、エッセイスト、漫画原作者などさまざまなフィールドで活躍してきた菅野久美子氏が世に放つ“母への絶縁状”であり、壮絶な半生を克明に記した衝撃作だ。菅野氏への取材を通し、求めても報われない幼少期がその後の人生に与えた影響を考える。
密室に連れていかれて、首を…
「一番古い虐待と呼べるものの記憶は、幼稚園くらいのときです。他のお母さんたちと楽しそうに話していたかと思えば、家に帰るなり急に母の顔が鬼のような形相に変わりました。父が仕事部屋にしていた密室へ連れて行かれ、毛布越しに首を締められるのです。苦しいので抵抗はするのですが、大人の前では幼稚園生の膂力などほとんど無です。視界は真っ暗、締め切られた部屋の毛布のなかの出来事なので、虐待を知る人はいません。その1回限りではなく、何度もそうしたことがありました。幼稚園児の私は、母の様子を見ながら『今日はやられる日かも』とビクビクする生活をしていました」 菅野氏は度々、毛布の向こうの母親が「あんたなんか産まなきゃよかった」と口にするのを聞いたという。 冒頭で「壮絶な半生」と書いた。確かに壮絶には違いないものの、事実を忠実に描いているのに、いやだからこそ、あまりにシュールでおかしみさえ込み上げてくる場面もある。 「4歳くらいのときだったと思いますが、ヤモリが敵に攻撃されたときに“死んだふり”で乗り切ることを図鑑で知り、母の虐待が起きたときに実践してみたことがあります。がくんと力の抜けた私に、母は最初、かなり焦っていたようでした。今考えるとおかしな絵ですが、当時の私にとっては生き抜くための知恵だったんです。ただ、もちろん“死んだふり”作戦が奏功したのは最初だけで、そう何度も通じるわけではないのですが」