絶望からJプロに上り詰めた異才の社会人レーサー 秋山悟郎【La PROTAGONISTA】
スプリント能力の開花とJプロツアーへの昇格
2011年、社会人レーサーの試合巧者がそろったアクアタマに加入すると、よりいっそうレースさばきに磨きがかかった。「ベテランと強い若手が集結したチーム。レースの流れ、集団のスキを突く走行センスに大きな学びがあり、自分の特徴だった一撃の高い出力を、ゴールまで温存できる走りを身につけました」。 2013年、すでに秋山はエリートクラスのスプリントで恐れられる存在となっていた。 1400wから生まれる爆発的なスピードで宮田、美浜クリテリウムで後続を一気に引き離しみごと優勝。クライマー若松達人などメンバーの活躍もあって、チームはエリート年間ランキングトップとなり、翌年のJプロツアーへの昇格を実現する。「チーム一丸となって得た大きな勝利。社会人レーサーとしての誇りを持ってJプロツアーに上ることができました」。
プロへの礼儀を貫くスタンス
このころから秋山は、Jプロツアーに挑戦する社会人として、ひとつの信念を持ってレースに向き合うようになる。「Jプロツアーの最前線で戦う選手たちは、みんな自転車一本で食べている。いくら社会人で強くても僕らは趣味の極み。プロ選手の進路をじゃましてまで出すぎてはいけないと思っているんです。アシストしてフラフラで後方に落ちて来たプロ選手たちを見ると、たった1戦でもそれが彼らの人生をかけたレースなんだと……」。 この数年、秋山はすべてのレースで最後尾からスタートを切っている。ポジション争いの優位性から考えても最後尾にいるメリットは明らかに薄い。「これは僕なりのプロ選手への敬意。リスクはありますが後ろからスタートして完走できないようではJプロツアーに参加する資格などないと思うんです」。 みずからを律してレースに挑む。年齢が40歳を越え絶対的な出力が落ちてきても意に介していない。「かつて1400w出たパワーも今では1100w。それでも高速化するレースで完走率は年々高くなっています」。 レースの経験値によって力の出しどころを知り、昨年は群馬大会で7位に食い込む実力も見せた。そしてそれにつれ練習内容も大きく変わっていた。「社会人でJプロツアーに対応しようとまともにメニューを組むと、結局は疲れてしまいますから……。僕はあるときから通勤と週1回の仲間との朝練、そして週末のライドを楽しむようになりました。そうしたら、かえっていい結果になりました」。 自宅から横浜の会社まで往復90kmの道のりを週に3回、週末2日で300kmをこなして体力に自信をつけ、現在Jプロツアーをコンスタントに走り切れる注目の社会人レーサーとなった。「なんとかレースに食らいついて、勝負所でプロが仕掛ける強烈なスピードに耐え切って残ったとき、『あぁ、今生きているなぁ』って感じるんです。ツール・ド・草津で絶望した感覚とはまるで逆ですね(笑)」。 30代からのロードレース挑戦、最高の舞台へ上り詰めて来たからこそ見出したスタンス。時にプロ選手以上のセンスを発揮しレースを戦う秋山悟郎の走りは見逃せない。 REPORTER。 <管洋介> 海外レースで戦績を積み、現在はJエリートツアーチーム、アヴェントゥーラサイクリングを主宰する、プロライダー&フォトグラファー。本誌インプレライダーとしても活躍 AVENTURA Cycling。 La PROTAGONISTAの記事はコチラから。 2024年2月19日に秋山悟郎選手についてJADAが同意に基づく決定書が公表されたため追記いたしました。 「La PROTAGONISTA」一覧。 文/管洋介 写真/管洋介
Bicycle Club編集部