人生の師として尊敬する松本学昭さんが人生の幕を閉じた いまの野球人も先人の教えを基に『新たな覚醒』を目指せ!【堀内恒夫の悪太郎の遺言状】
20勝の壁を越えられなかったとき「寺にでも籠れ!」の一言に啓発!
筆者は現役時代、自主トレで身延山に籠ることにより覚醒のきっかけをつかんだ
実は昨年末に訃報が届いていた。俺が「人生の師」として尊敬する松本学昭さんが、亡くなられた。98歳で人生の幕を閉じたというから、まさに大往生だと言ってもいいだろう。 松本さんのことは、前回のこの連載でも触れさせてもらっている。 松本さんとの出会いは、いまから遡ること54年前。プロ5年目を迎えた1970年1月に母方の親戚に誘われて、故郷・山梨の身延山にある日蓮宗の寺を訪ねたことがきっかけだった。 松本さんは「100日の荒行」の最中であってね。それは100日間、一汁一菜以外の食物は一切口にせずに、昼夜通して一日7回、井戸から汲み上げた冷たい水を浴びながら、読経三昧の生活を続けるというものだった。その姿を見た俺はいたく感銘を受けて、松本さんを心酔するようになったというわけだよ。 66年に巨人へドラフト1位で入団した俺は、開幕から13連勝を飾った。プロ1年目から16勝2敗、防御率1.39、勝率.889の好成績を挙げ、最優秀防御率、最高勝率、最優秀新人、沢村賞のタイトルを獲得している。 だが、2年目は自主トレ時に腰を痛めたことが災いして、勝ち星が前年を下回る12勝(2敗)に終わってしまった。それ以降も2ケタ勝利を挙げていたが、目標とする20勝の大台には到達できずにいた。もう一つ、壁を突き破れずにいたというわけだよ。 そんなときに監督の川上哲治さんから「お前も寺へ行って座禅でも組んできたらどうだ!」と言われたんだよ。実際に川上さんも、岐阜の美濃加茂市に在住する僧侶の梶浦逸外さんから薫陶を受けることによって、座禅を組みに行っていたからね。 そこで俺の母親に相談したら、「いい人がいるよ」と言って紹介してもらったのが、松本さんだった。 出会ってから、ちょうど1年後の71年1月に、俺は松本さんが住職を務める寺へ籠ることにした。 松本さんの日常は厳しいものだった。朝5時に松本さんの読経を後ろで聴くことから始まり・・・
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週刊ベースボール