1日6000個握り続けたおにぎり 阪神・淡路大震災30年 JA組合員・職員が支援
22日間、トマトの出荷箱に詰め
阪神・淡路大震災から17日で30年となる。兵庫・淡路島を震源とするマグニチュード7・3の地震は、死者・行方不明者6437人という未曽有の惨事をもたらした。「あの日」から何を学び、今後の防災にどう生かすのか。当時を知る関係者に取材した。 【当時の写真】旧JA神戸市西によるおにぎりの炊き出し JA兵庫六甲玉津支店支店長の杉尾恵美子さん(55)は、当時のJA神戸市西でおにぎりの炊き出しに携わった。「災害になれば一人では生きていけない。困っている人に何かしてあげたいという思いから、職員も組合員も集まり、協力していた」と振り返る。 震災翌日の18日、JAは神戸市から、おにぎりの炊き出しを求められた。しかし、人手が足りず有線放送で組合員らに協力を呼びかけた。「できることをしたい」と、多くの組合員らが漬物や梅干しなどを手に駆け付けた。 JAは保管していた米の放出を決め、1日1・5トンを炊き出しに充てた。調理室では10台のガス釜がフル稼働し、職員や組合員30人ほどが、朝から夕方までおにぎりを握る日が続いた。杉尾さんは、ボウルから熱々のご飯をつかみひたすら握った。米粒が手のひらから離れず、手は赤く腫れ上がった。 釜や水を運んだり洗ったりと、男女の別なく自然と役割分担ができた。「被災した人の痛みを少しでも分かち合いたい」。皆の思いが一つになったおにぎりは1日6000個、22日間、トマトの出荷箱に詰めて避難所に届けられた。 阪神大震災は、「ボランティア元年」とも呼ばれる。全国から参加したボランティアが、マニュアルなどない中で活動した。杉尾さんは「JAは、協同の力で臨機応変な支援につなげられた。日頃からの付き合い、地域で絆を強めることが大切だ」と強調する。
地元JA 野菜供給へ奔走
「トマトのおにぎりちょうだい」。神戸市の農家、近藤達治さん(84)は阪神・淡路大震災当時、避難所で声をかけられた。JA神戸市西(現JA兵庫六甲)の軽トラックで、救援物資を避難所へ運ぶ活動をしていた時のことだ。JAが炊き出しでトマトの共選用出荷箱に詰めた、おにぎりと気付いた。避難所にはまだ乾パン程度しかなく、炊きたてご飯のおにぎりが人気と知った。「命の根源は食。農家とJAが支えているんだ」 近藤さんは、500人からなるJA野菜生産者部会の部会長だった。震災翌日には部会を開き被災地への支援を探った。市場の被災による供給の停滞で、出荷が危うくなった。だが近藤さんは「食料供給が生産者の使命だ」と、部会員にできるだけ野菜を出荷する通達を出した。 「自宅がつぶれたり家族や大切な人を亡くしたりした仲間もいたが、損を覚悟で出荷してくれた」(近藤さん)と感謝する。野菜は青空市に販売したり、炊き出しの材料として提供したりした。 「農家とJAは食を届けるプロ。有事にこそ役割を発揮しなければならない」。30年前の実感を胸にとどめ、今もトマトとキュウリを作り続ける。