麻丘めぐみ、“わたしの愛車は四角ぎみ” アイドル・俳優人生を支えた愛車
■芸能界入りのきっかけは…
3歳で子役として芸能活動を始めたという麻丘さん。きっかけについて、「4つ上の姉が積極的な人で、勝手に児童劇団に入ってしまった。母が(姉の仕事)現場に、小さかった私も連れて行って、“じゃあ妹さんも”と。何の志もなく気がついたら子役になっていました」と語りました。 その後、歌手を目指すことになった麻丘さんの姉は、昭和の歌謡界を代表する作曲家・遠藤実さんの内弟子になったそうで…「父が“一緒に行って応援した方がいいよ”と言って、姉のサポートのために母と2人で上京しました。それで、私も“お姉ちゃんが(歌手を)やるためには稼がなきゃ”と、『セブンティーン』とか雑誌のモデルをやりました」と、姉のために仕事を始めたそうです。 その後、麻丘さんに思いもかけない話が舞い込みます。「(私にも)“歌わないか?”と言う話があったんですけど、レッスンをしたこともないからお断りしていた。(しかし)姉のレコード会社の偉い人から、“デビューしなさい!”と言われ、断ってしまうと、姉がレコードを出せないかもしれないと思い、1972年に楽曲『芽ばえ』でデビューしたんです」と、アイドル活動のきっかけを明かしました。
■違和感を覚えた『わたしの彼は左きき』
そして、デビューの翌年に『わたしの彼は左きき』をリリース。しかし当時、麻丘さんはある違和感を覚えたそうです。「まだ私たちの時代は、“左きき”が良しとされていなくて、親から“右ききに直しなさい”という時代だった。だから最初に歌詞を見たときに、“左きき”ってテレビで歌えるのかしら」と思ったそうです。 そんな、麻丘さんの心配をよそに『わたしの彼は左きき』は大ヒット。“左きき”ブームまでに発展したそうです。「デパートで、ハサミとか調理用品の“左きき”を取り扱うコーナーができて社会現象になった」と振り返りました。
■麻丘めぐみ「自分の足で自分の人生を」
1977年、デビューから5年後に麻丘さんは、結婚を機にアイドル歌手を引退。当時の思いについて、麻丘さんは「歌わせてもらってヒットしたのも、スタッフや、作曲家の先生、運に恵まれていたので、“自分の足で自分の人生を歩いてみたい”という思いがずっとあったんです。それで、結婚をしたら(芸能界を)辞めると決めていたので」と、引退の理由を明かしました。