【卓球】韓国の前女子代表監督、呉光憲は日本で指導者としてキャリアを積んだ。そして、早田・平野・伊藤の黄金世代を指導していた
「当時の村上恭和監督が「後ろに私がいるから、呉さんの好きなようにしなさい。信じてますから」と言ってくれた
パリ五輪での韓国の女子代表監督、呉光憲(オ・グァンホン)は日本での指導キャリアは22年を積んでいた。22歳で選手の道を諦め、24歳で全く日本語もできないので来日して、淑徳大の卓球部のコーチを務めた。 その後、インカレ(全日本大学対抗)で11度の優勝を果たすなど、常勝チームに育てた。2009年から日本女子の代表のコーチも務めた。 「その年の4月に村上恭和さん(当時日本女子代表監督)から電話が来て、『大阪に来てくれますか』と。大阪の日本生命の練習場に行きました。そこに行って村上さんと話をして、『呉さんは日本のために女子卓球を強くしてくれた、それを私は評価したい。一緒にやりましょう』と言ってもらいました。 そして、2013年にはJNT(ジュニアナショナルチーム)の監督に抜擢される。伊藤美誠・平野美宇・早田ひなの黄金世代だった。選手たちに、「私は練習を厳しくやります。でも練習が終わったら、私はあなたたちのお兄さんになり、お父さんになります」と告げた。 「今もすごく忘れられないのは2013年のパリの世界卓球選手権から帰って来て、すぐにJNTの1回目の合宿をやったんです。でも、まだ自信がなくて、ナショナトレーニングセンターに行く時に村上さんに電車からメールを送ったんです。『村上さん、自信がないんですけど、どうしたらいいですか?』と。そうしたら村上さんからメールが来て、『後ろに私がいるから、呉さんの好きなようにしなさい。信じてますから』と。 それがすごくうれしくて、もう涙が出るほどでした。そのメールを見て、私は村上さんを裏切れないと思いました。頑張って良い成績を見せたいという気持ちです。それでまた決心しました。そこから、一生懸命頑張り、選手も、美誠も美宇も早田も一生懸命頑張りました」(呉) しかし、2013年頃から韓国に戻って、実業団チームを指導する話があり、先に妻と娘を帰国させ、単身で日本で指導。黄金世代のジュニアチームで宿敵・中国を倒してから帰るつもりだった。2016年リオ五輪では日本女子のコーチとして現地に向かい、その後の世界ジュニア選手権では中国を倒し、優勝を飾り、呉光憲は韓国に戻った。 2022年から韓国女子の代表監督を務めた呉光憲。パリ五輪では韓国のエース、申裕斌が教え子だった平野美宇に大激戦で勝ったものの、メダル決定戦では早田ひなに敗れた。 しかし、パリ五輪では韓国の女子は混合ダブルスと女子団体で2個のメダルを獲得。成功の足跡を残し、呉光憲は9月20日に代表監督を辞任した。 <卓球王国PLUSより>