阪神若手をバックに投球していた小学生時代 岡田彰布監督の言葉力のルーツとは
連覇に挑む、阪神タイガース・岡田彰布監督。「勝ち方」を選手に浸透させた名将は、時にユーモアを交えながら語る本音の言葉力でも注目を集めている。そのルーツはどこにあるのか。阪神愛の源ともいえる幼い頃の驚きの日常とは。23年12月に発売後、即重版が決まった岡田監督の自著『幸せな虎、そらそうよ』(ベースボール・マガジン社刊)より抜粋、編集してご紹介しよう。 【選手データ】岡田彰布 プロフィール・通算成績
学校から帰ると家に村山実さんがいた
2008年、監督を退いたとき、当時のトラ番から、こう聞かれた。 「これから阪神に対する思いは変わる?」。オレはこう答えている。「世界一の阪神ファンでいることに変わりない」と。 そら、阪神命で生まれ育ったわけやからね。1957年11月25日、オレは生まれた。父勇郎、母サカヨ。親父はもう亡くなっているが、ホンマ、タイガースがいつも身のまわりにあった。 親父は紙工業を営んでいた。根っからの阪神ファンで、アンチ巨人の典型的な人間やった。それほど裕福ではなかったけど、とにかく阪神の選手を可愛がっていた。いわゆるタニマチというのかな。特に若い選手の面倒をみていたわ。 オレが小学校に通うようになって、実家の屋上に打撃ケージを設置し、ホンマ、オレを野球選手、阪神の選手にしたかったんやろなと思う。 学校を終えて、家に戻ると村山実さんや藤本勝巳さんがいたり、三宅秀史さんとキャッチボールしたり……。それが当たり前のような時間を過ごしていた。あるとき、三宅さんに言われた。「お前は指が短いし、投手より野手のほうがいい」。こんなアドバイスを受け、そこからバッターとして練習したことを思い出す。 親父は物おじしない人間に育てたかったんだろう。オレのために草野球チームをつくり、大人の中に小学生のオレを入れて、そのときはピッチャーをさせた。後ろを振り返ると、大人が守り、その中に阪神の若い選手も交じっている。そら、抑えられるわね。 夜は打ち上げで食事に、飲み会。キャバレーに繰り出し、そこにオレも連れられて行った。そのキャバレーにはステージがあり、オレが歌うわけ。「いっぽんどっこの唄」。水前寺清子が1966年にリリースしたヒット曲を、オレは歌った。これで賞品をゲットし、それがビールやった。阪神の若い選手にプレゼントして、親父はホンマにうれしそうやった。 ますますタイガースが身近になり、甲子園にも足しげく通った。巨人戦は特に熱くなった。座席は三塁側のベンチの後ろ。目の前に王貞治さん、長嶋茂雄さんが現れる。そこを目掛けて、ヤジる。三塁側でそんな子供はいなかったもんやから、目立っていたわ。