「ミスターパーフェクト」、1994年に平成唯一の完全試合…FA時には長嶋監督がバラの花束で残留要請
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第16回は槙原寛己。 * * * 「平成のミスターパーフェクト」と言えば、槙原寛己だ。1963年8月11日、愛知県出身の右腕は、大府高から81年ドラフト1位で入団した。2年目の83年、初登板初先発した4月16日の阪神戦で延長10回を投げきり、1―0の完封勝利という鮮烈デビューを果たした。150キロの速球を武器に12勝を挙げ新人王。87年には10勝でリーグ優勝に貢献し、88年は奪三振王のタイトルを獲得した。 93年オフ、FA宣言をした際には、長嶋監督がバラの花束を持って自宅を訪れて残留を要請。それで残留を決めたとのエピソードもある。そんな長嶋監督の思いにマウンドで応えたのが、94年5月18日、福岡ドームでの広島戦だった。 平成で唯一となる完全試合を達成。球数は102、アウトの内訳は三振7、内野ゴロ11、内野飛球6、外野飛球3。阪急の今井雄太郎以来16年ぶり15人目、巨人では50年の藤本英雄以来44年ぶり2人目で、20世紀最後の達成を果たした。 この年は斎藤雅樹、桑田真澄と3本柱として4年ぶりのリーグ優勝の立役者となり、西武との日本シリーズでは第2、6戦で完投勝利を挙げ、シリーズMVPとなった。2001年限りで引退。一昨年、ロッテ・佐々木朗希が28年ぶりに完全試合を達成し、槙原の名前が再び脚光を浴びたのは記憶に新しい。
報知新聞社