押井守が鈴木敏夫との対談本で振り返った「時代を共有した無駄話」の歴史
今後の鈴木さんとの関わりの中で、押井さんが注目していきたいことは?
――宮﨑駿や高畑勲、富野由悠季という才能は既にアニメファンの中で評価が定まっていましたが、当時の押井さんはまだ原石のような存在でしたよね。アニメージュでは漫画「とどのつまり…」(押井守 森山ゆうじ/1984~1985)の連載もありましたし、鈴木さんとしては押井さんを自分の手でスタークリエイターにしたい、という思いがあったのではないですか。 押井 自分で言うのも何だけど、多分それはあったと思う。当時敏ちゃんが面白いことを言っていたんだけどさ、「俺は(アニメージュを)週刊明星にするんだ」って。 ――つまりアニメにまつわるスターを集めた情報雑誌、ということですね。 押井 じゃあそのグラビアを飾る有名人に相当するのは誰だ、というところで敏ちゃんは「監督」に目を付けたわけだ。 要は「映画=作品を作る人」という発想からそういう結論になって、いろんな監督のところへ行ったわけだけど、最終的に敏ちゃんは宮(﨑駿)さんを選ぶわけだよ。その理由は「売れるから」。私のことは「面白いかもしれないけど売れない監督」って見切ったわけ。 ――とはいえ、そこで二人の関係が終わらず続いているのが面白いですよね。押井さんの『イノセンス』(2004)や『ガルム・ウォーズ』(2014)に関わられていますし、さらには実写作品では役者として起用されたり……。 押井 それは、敏ちゃんを構ってあげる人間が私以外にいないから。いまやすっかり偉くなっちゃって、悪口を言ってくる人や腹を割って話せる人なんて、まずいないんだから。こちらの気持ちとしては「不憫」っていう言葉が一番ピッタリくるかな。 まあお互い友達がいない人だし、たまに会うとやっぱり嬉しそうな顔するわけですよ。私の方でも「死なれたらちょっと寂しいな」という思いもあるわけでね。 さっき言った話にまた戻っちゃうけど、自分たちが生きてきた時代をどう思っているのか、それを踏まえてこれからどうするのか、という話をする相手は、なかなかいないんだよ。三島由紀夫の文学は何十年経っても面白いかもしれないけれど、例えば三島が割腹自殺した時の衝撃を共有しているかどうかで捉え方は大きく違ってくるわけでね。 まあ、会っている間は楽しいですよ。この本のための語り下ろしの対談が終わった後、お礼のメールをしたら翌日かな、メールが2行返ってきました。「久々に会えて嬉しかった」「本当はプライベートで会えれば良いのだけれども」って書いてあって。 ――普段、鈴木さんと会う機会はないんですか。 押井 敏ちゃんは酒を飲まないから、ほとんどないね。これは大きいですよ。仕事仲間とは大体飲み屋に行ってそこで結構いろんな話をするんだけれど、敏ちゃんはうどんしか食わないし、うどんなんてすぐ終わっちゃう(笑)。 ――これは個人的な印象ですけれど……普段鈴木さんが表に出て喋る時は思いつきで喋っている風に見せながらも、実は伝えたいことをしっかり用意しているような気がしているんです。ところが押井さんとの対談を読むと、本当に両手ぶらり状態というか、リアルの自然体という感じが伝わってくるんですよね。 押井 それは結局のところ「無駄話」だからなんです。宮さんと話すと必ず喧嘩になるように、水が低きに流れていくように、敏ちゃんと話すと、どうしても同じ話になってしまう。しかも、何か新しい結論に達することなんて絶対にない。 だけど、それって「人と話す」ということの本質的な部分だと思っているから。人が誰かと話したいと思うのは「他者と時間を共有したい」ということなんです。そういう意味では話の中身は何だっていいし、毎回同じ話になってしまっても何の問題もないから。 ――では最後に、まだまだ続くであろう今後の鈴木さんとの関わりで、押井さんはどういうことに注目したいですか。 押井 敏ちゃんがこれからどう生きようとしているのか、だね。だって、お互いに死に向かっているわけだから。 これは会う度に聞いていて、毎回はぐらされるんだけど、結局一人の人間としてどう終わろうとしているのか、そこは興味があるかな。
アニメージュプラス 編集部