「いい意味で不平等」だから強くなった MLBドラフト指名・西田陸浮、「短大」から始めた留学生活
野球の名門・東北高校(宮城県)から、アメリカの大学に留学した後、大リーグ球団のシカゴ・ホワイトソックスからドラフト指名された西田陸浮選手(22)。アメリカの大学で勉強して、「野球で活躍」と「経営者になる」という夢をかなえています。スポーツを通して道を切り開いてきた留学キャリアを振り返ってもらいました。 【写真】東北高校時代の西田選手。最後の夏は、宮城大会の決勝まで勝ち進んだが、仙台育英高校に敗れ甲子園出場はならなかった
高校時代の英語は「ほぼゼロ」
――西田選手は、高校野球の強豪でダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)らが出た東北高校を卒業した後、アメリカに留学しました。日本国内の大学で野球を続けるという選択肢は考えなかったのでしょうか。 僕はそもそも、大学に進学するつもりはなかったんです。子どもの頃から父親が会社を経営しているのを見て育ったので、高校を卒業したら、自分も経営者になりたいと考えていました。 でも高校3年夏の宮城大会が始まる前、そのことを父親に相談したら、「いまのお前に、何かスキルがあるのか」と言われ、「確かに、そうだな」と。そこで、打ち込んできた野球で留学して、アメリカで勉強してみようと考えました。父親から紹介されたスポーツ留学をサポートする「アスリートブランドジャパン」という会社を通じて、アメリカの大学野球部向けの「ショーケース(トライアウト)」に参加しました。その結果、オレゴン州のマウントフッド・コミュニティーカレッジ(公立の2年制大学、日本における短期大学のようなもの)から合格をもらいました。 ――留学当初、将来的に大リーグ挑戦を意識することはありませんでしたか。 野球は好きなので続けようと思っていましたが、「いずれは4年制大学に編入して、経営者になるための勉強をしたい」と思っていました。 ――高校時代、英語の成績はいかがでしたか。 ほぼ「ゼロ」ですね(笑)。「アメリカに行ったら、しゃべれるようになるやろ」くらいの軽い気持ちでいました。でも、それじゃいけないと思って、野球部を引退した後は、海外留学を目指す学生のための塾に8カ月通って特訓しました。それこそ、「A、B、C、D……」から始めて、そこからネイティブの英会話や、アメリカの文化などを勉強しました。