曙さん死去、武蔵が明かす「20年前」の「K―1」対戦時の秘話…「控室まで来ていただいて謝罪…和解しました」
元横綱の曙太郎さんが亡くなったことが11日に分かった。54歳だった。 曙さんは、1969年5月8日、米国ハワイ、オアフ島生まれ。1993年3月から2001年1月まで横綱に在位した。2003年11月に日本相撲協会を退職し同年大みそかに格闘技イベント「K―1」に参戦しボブ・サップと対戦。05年からはプロレスラーとなり全日本プロレス、新日本プロレスなどで活躍した。 曙さんの「K―1」デビュー2戦目となる04年3月27日にさいたまスーパーアリーナで対戦した武蔵は訃報に接し「ショックです」と沈痛な思いを打ち明けた。 曙さんは武蔵戦で判定負けを喫した。20年前の試合を振り返った武蔵を「サップにはKO負けしましたけど横綱という超大物。どれぐらいのポテンシャルを持っているか分からなかったので僕も恐怖を感じながら、でもK―1で戦っている先輩として勝たないとイカンというプレッシャーはありました」と振り返った。 試合では「たくさんのK―1戦士と戦っていましたけどジャブだけでコーナーに吹っ飛ばされるパワーは曙さんだけでした。相撲で鍛えた押しの強さは今までの格闘家にはなかった威圧感でした。体重差は150キロ。あの圧力を体感したのは、後の僕の格闘技人生でいい経験になりました」と明かした。 この一戦では曙さんがスリップダウンした武蔵をレフェリーの制止を振り切り攻撃する反則を犯したが「その後は横綱らしく控室まで来ていただいて謝罪をしてくれましたので和解はしました」と秘話を披露した。 以後、曙さんと一緒に練習する機会もあり親交を深めた武蔵は「ご飯を食べにいったりして仲良くさせていただきました。とても気さくな方で横綱の固いイメージよりも冗談を交えるユニークな方でした。接しやすかったです」としのんだ。晩年は長期入院生活で会うことができなかった武蔵は「今、会いたかったという思いが強くなっています」と明かし「僕にとって拳を交えた人間は、戦友。曙さんは、僕の中でずっと戦友として心の中で生き続けます」としのんだ。
報知新聞社